尊皇情意

【尊・皇情意】(そん・のうじょうい) 
天皇家の人々の感情や意志(これを「皇情意」という)は、一般国民の感情や意志が尊いものであるのと同じように、尊いものと考えること。


前に、天皇家は変わりつつあるのではないか、と、どちらかというとポジティブに書いた(エントリー:天皇の名の下で)のですが、過日の弟さんの発言を聞いて、むしろネガティブにとらえなければいけないのかもと思っています。

要は、天皇家の人々が、悲鳴を上げはじめているのではないかと。

かねてから、彼らの大変さが並大抵でないことは想像にかたくなかったのですが、その大変さが尋常な状況ではなく、もはや限界なのではないでしょうか。

女帝容認論もよく語られていますが、女帝を容認などしたら、ますます混乱と苦悩を天皇家に与えるだけ(→エントリー:女性天皇はOK、なのか)なのではないでしょうか。
制度的にも問題があるように思いますし、混乱するのは天皇家だけではないでしょう。賛成・推進している政治家はちゃんと長期展望を持って考えているんでしょうか。ただ今現在、天皇家に男の子どもがいないからというだけで考えてるんじゃないかと疑ってしまいます。


一番の彼らの悲劇は、だれも、何も、彼らを守るものがない、ということです。

ドラマで勤王の志士たちを見たあとだから、というのでもないのだけれど。
右翼の諸君はいったい何を考えているのか。何をしているのか。

現代の日本社会は国家と法によってひとの生活が守られるのが原則ですが、今の天皇家にとって、国家と法は守ってくれるものではなく縛るものでしかない。人権も自由も与えられていない。
左翼の諸君はいったい何を考えているのか。何をしているのか。

上にも、下にも、左にも、右にも、守ってくれる人がおらず、守ってくれる制度も法もない。
だから、浩宮さんは雅子さんを「自分が一生守る」と言うしかないでしょう。
じゃあ浩宮さんを誰が守るのか。あるいは、今一番困っているだろう天皇皇后を誰が守るのか。
誰も、何も、ないですよね。


今や、錦の御旗が絶対権力の象徴ではないのだから、もうそろそろ、彼らを特殊な存在でなくてもよいことにしてはどうなのでしょうか。
どうせ、彼ら抜きで、日の丸や君が代推進はしちゃってるし、そういうのを推進する人たちにとっても、すでにどうしても必要な存在ではないんじゃないでしょうか。

まあ、すぐに一般国民とみんな一緒というわけにはいかないでしょうが、少なくとも、国民としての権利と自由がちゃんと持てるようにできないものでしょうか。

身分制度のないはずの自由と民主主義の国の中で、タテマエと実質の両面で唯一残されている、身分制度の悲劇、だと思います。
悲劇が継続し、もしくは拡大しないために、もっと根本的な解決が必要です。

[政治・国際・社会] tag:
2004.12.15 - 01:59 AM |
『新選組!』 みな、ありがとう! | 『新選組!』 その後。作家と俳優の想像力。

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