25年間、iPhoneを待っていた

思えばぼくは、iPhoneを25年間、いやもう少し長い間かな……ずっと待っていた。

7月11日、カウンターの前に立ち、目の前で箱が開けられて、自分のものとなるiPhoneの姿をそこに見たとき、自分でも驚いたことに目頭が熱くなってしまった。泣きそうになった。
それは、15時間並んだすえのことだったから、ではなく、25年以上前から待ち望んでいたものが、ようやく手に入るということへの感動だった。
やっと、この手に。


とりだしてスイッチを入れたらすぐに使える
入力した情報は意識せずに保存される
会社や家のデスクトップのPCにある情報と常に単一の情報を閲覧・編集できる
あるアプリで入力した情報はほかのアプリでそのまま利用できる
信頼できるサードパーティが機能を拡張する

もう少し簡単に言えば、
いつでもどこでもすぐに閲覧や編集ができ、いつでもどこでもネットワークにつなげることができる。

初めて自分のコンピューターを持ったときから、ぼくはずっとそういう環境が欲しくてしかたがなかった。
HC-20やPC-8200は、そんな夢を最初に垣間見せてくれた機械だったし、ワープロでありながらもその思いの片鱗を実現してくれていたWordbank noteが好きだった。
何台ものザウルスや、Palm Top(SONYの)に手を出したのも同じ理由だった。
Newton、Palmに手をだしあぐねたのは日本語の入力の問題と、ネットワークへの対応が充分でなかったことだったかと思う。それで、moperaのような端末は買ってみたりしたのだった。

しかしどのようなノートPCも、電子手帳もPDAも、結局ぼくが望んでいたものではなかった。
これまで一番近かったのは、iモードだったかもしれない。発表された時、望んでいた環境がようやく整ってきた、といううれしい思いを抱いたものだった。しかしその後の携帯電話の発達は、技術や環境がより揃ってきたとはいえ、どうもぼくが望んでいた方向にまっすぐに進んできたとは言い難い。

いろいろな条件を考えてみると、実現できそうな企業は世界でただ一社、Appleしかない……というふうに思うようになったのはいつからだろう。iPodがうまくいった頃かな。それにしてもAppleが携帯の世界に進出する気配など何もなかった。

# あとはかつてのSONYなら、できただろうと思う。そしてひょっとしたら任天堂も。でもそうとうひょっとしないとね(技術もコンセプトを作ることもできると思うけど、相手にする市場がこれまでとまったく違うので相当な方針転換になる)。

だから、Appleがケータイを作ってくれたらなあ……というのが、ケータイを買い換えるたびに、ため息まじりで思うことだった。


3週間使ってきて、ああやはりこれだ、ぼくがずっと欲しかったものは、ということをひしひしと感じる。
ありがとう、ジョブズ。そしてこれを作ってくれた(サードパーティをふくむ)みなさん。
すべてに満足しているわけではないけれど、しかしまずは充分です。
まさにこれです。

これがずっとほしかった。

「これ」というのは、iPhoneという「製品」ではなく、
……こういう「環境」です。
Insanely Greatだよ。

[コンピュータ]
2008.08.01 - 08:34 AM |
30年後のアナログシンセ | これでいいのだ。

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