政治・国際・社会  (公開順)

「黄色いリボン運動」

「イラクに派遣された自衛官の無事を祈る」という名目の「黄色いリボン運動」ということをしている人たちがいます。ネットでもいくつかのサイトがいろいろな黄色いリボンやハンカチのバナーを作って運動参加を表明しています。

でもこの「運動」にはひどくうさんくささを感じてしまう。

派遣された自衛官の無事を祈らない人がいるのでしょうか?
なぜそんなあたりまえのことを「運動」にわざわざするのか。

そもそも「運動」とは何かの目的を達成しようとするために行う行動のことであるはずです。
「無事を祈る」って、どんな目的? どんな行動?
いったい誰に対しての「運動」?
自衛隊の派遣の危険性を分かっていない人がいるから、それを伝えたいのですか?
無事を祈っていない人がいるから、無事を祈るように伝えたいのですか?

このようなことを「運動」と称して実施する理由を考えてみるべきだと思います。

2004.02.29 - 09:15 PM ||コメント (0)

人殺しという処罰

死刑には、反対の立場でいます。
肯定する納得できる理由が出てくれば、意見が変わるかもしれませんが、今のところ肯定する理由がないし、でてきそうにもない。

『現代思想』 2004/3号の特集が「死刑を考える」だったので買って読んでいます。

孫引きになりますが、本誌の記事「死刑・主権・赦し」(P.195)に、こうあります。

死刑の是非に関して、「今では論点がほぼ出つくし、ありとあらゆる理論的立場も出揃」い、その結果、死刑肯定論に根拠がないことが明らかになったにもかかわらず、肯定論者はそのことを認めず、今や「死刑論はもはや認識の問題ではなく、信仰告白の問題」になっているからである。
※「」内引用元は、田宮裕「犯罪と死刑」、荘子・大塚・平松編『刑罰の理論と現実』1972, P143

すでに30年前に論理的には結論が出ている。にもかかわらず、日本では死刑が存置そんちされ、それが当たり前のごとく国民は思っており、なおかつ死刑制度を望んでいる人が半数を超えています。

凶悪犯罪が増えているとされる(自らの権力を強くしたい側が発表していることなので、それは事実ではないかもしれない、とぼくは思っていますが)この世の中で、死刑を反対するよりも望む人のほうが増えているような気さえします。

たとえばオウム裁判では、国民の大半が松本被告に対して「死刑は当然」と思っているようです。
しかし、ぼくは彼の刑が最高裁で確定したとしても、やはり死刑には反対です。
※オウム裁判については、死刑制度に反対というだけでなく、捜査や審理がまったく十分ではないと感じることからも、松本被告を死刑にすべきではないと思っていますが、それはまた別な話。

どのような場合でも、どのような理由でも、人を殺すことをすべきではない。
それが一番シンプルな、死刑反対の理由です。

生物の歴史も、人類の歴史も、自分たちの命をいかにして長く残すかということに費やされてきたはずで、それが唯一最大のわれわれの存在理由と言ってもいいのではないか。
それに反することをすべきではない、と思うのです。

まだ全部ではないですが、『現代思想』の記事を、殺人被害者の家族の論文も含めて読んだかぎり、死刑を存置する理由を、ぼくはやはり見いだせないでいます。

また、日本の現在の死刑のあり方についても大いに疑問が出てきました。

  • 死刑が確定してから、執行するまでになぜ時間をおくのか。なぜすぐ執行しないのか。
  • 死刑が確定した人には弁護士は接見できず、家族も接見できないこともある。つまり死刑囚は外部の者と会う「権利」はなく、ただ「許可」されるだけで、その許可・不許可の理由もあきらかでないのはなぜか。

「裁判人制度」によって重大な犯罪に対する裁判には国民が参加するようになりそうです。
法の理解や、「権利」に対する理解度、それを踏まえた市民としての成熟度におそろしく不安のある日本で、裁判人という制度が実施されることもまた、ぼくにはたいへんな不安です。
なんでこんな制度が持ち出されたのか、知りたいと思っています。

2004.03.20 - 06:09 PM ||コメント (0)

誇りはどこにあるのか

このところ特に、首相の発言には論理も何もなく、ばかばかしくて聞く気にもならないものばかりだった。
だがこの期に及んで、無責任で他人ごととしか言いようのない発言には怒りを覚える。
三人の誘拐の原因が自衛隊派遣にあり、それを実施した政府の責任であることはあきらかだ。
せめて、自らの決断に自信があるのなら、全責任は私にある、となぜ言えないのか。

しかしどう言おうと、最悪の場合、市民を犠牲にしてもしかたがない、と考えていることを、政府の態度はあらわしている。
銃を下ろさねば人質を撃つぞと言っている犯人に「屈してはならない」と銃を向け続けている警官のようなものだ。
人質の命よりも大切な大儀があるのであれば全力でそれを主張し、命を犠牲にする責任を負うべきだろう。
そのような誇りと覚悟は微塵も感じられず、ぼくが右翼だったら情けなくて涙が出てくるだろう。
今日、Fさんと会話していて思い出させてもらったが、「人の命は地球よりも重い」と言ったのは官房長官の父であった。そのように言い、そのように行動した父親は間違いだったと言いたいのだろうか。ならば官房長官は自信を持ってそのように明言してほしいものだ。

だがぼくが誇りたくなるとすれば、そのような態度でももちろんなく、「命のためになら自信をもって屈する」勇気が存在したときだろう。
憲法の読み方を知らないのはもちろん、その存在すら無視する首相には、何を言っても無駄なのかもしれないが、日本国憲法が前文で高らかにうたいあげている「国際社会における名誉ある地位」は、「戦わないこと」によってこそ、占めようとしているのであり、そのような精神と、それを実現させるための行動をこそが、誇るべきものだ。

国際社会への貢献ではなく、国際社会への災厄を、米国はどれほどもたらしていることだろうか。
そのような「米国における誉められる地位」などいらない。

もう時間がない。
即刻、日本の軍隊を、自衛隊を、撤退してください。


# ここを首相が読むとも思えないので、同内容を、首相官邸のご意見箱に投稿してきました。
# 官邸ほかの宛先を含む各種アクションプランリストは ネットワーク地球村などにあります。

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2004.04.10 - 12:27 AM ||コメント (2)

まだ続いている悪夢

3人が解放された。よかった。ほんとうに。
その一方で、別の二人が人質になったという、依然として心休まらない事態。

だが、

3人の日本人が大切なのはわかるが、連日何百人と殺されているイラク人のことも同様に尊重すべきではないか
という言葉を読んで、自らのニセモノ平和主義を指摘された気がして、反省する。

これは、「PUBLICITY」というメールマガジンの今朝(15日)着いた号に載っていた言葉で、このイラク人住民の言葉をメールで伝えてきたのはバグダッドにいる安田さんというジャーナリストだった。
メールマガジンを読み終えてから開いた新聞のサイトで、まさにその安田さんが人質になったというニュースが目に飛び込んできて、えっと思って、後ろにまわっていたメールのウインドウにそのまま表示されていた記事を再度確認。やはりその人だった。
そのメールには「今は街中で『出歩いてるとさらわれるぞ』とからかわれます」というくだりもあり、なんとも言いようのない思いになる。

だが今一度、
「日本人が大切なのはわかるが、連日何百人と殺されているイラク人のことも同様に尊重すべきではないか」
という言葉をかみしめる。
今日もまた、停戦しているはずのファルージャで、少なくとも6人が米軍によって殺されている。

メールマガジン「Publicity」 http://www.emaga.com/info/7777.html

2004.04.16 - 03:10 AM ||コメント (0)

ほんとうの悪夢がはじまったのかもしれない

このblogがイラク人質事件のことばかりになって、あまり自分でもうれしくない。
また、刻々と変わる情勢と、様々な人の意見を聞くにつれ、自分の思いや意見も微妙に揺れ動いていて、書き留めて公表することに不安がないこともないのだけれど、しかし今時点での自分の思いや意見をつづっておく意味もあると思うので、書いてみています。

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結局首相は何もしなかった。
米国の影から引きずり出されて、撤退か人質見殺しかの二者択一を迫られ、どちらにしろ明確に責任を負わなければならないという状況は、ずっと口だけで実質と責任の伴わない彼を、今回ばかりは逃げられない場所に追いつめていた。だがまたもやラッキーなことに、何もしないままに、他人の力によって、その苦境から脱したのだ。

脱したとたん、あたかも自分が手を尽くしたからこそだと言わんばかりだし、加えて、とたんに被害者を非難しはじめた。
政治的に見たってまずくないか? 未だ自衛隊が滞在しているばかりか、二人が行方不明である現状で、イラク人の気持ちを逆なでしてどうするのだ。それに比して、なんとパウエル国務長官が「日本人は三人を誇りに思うべきだ」とインタビューで語っていた。思いっきりうさんくさい、政治的発言だと思うが、だがそこには心に訴える論理がある。

首相だけでなく、何人かの政治家が一斉に「自己責任」を唱えはじめ、損害賠償という言葉まで出る始末。
首相は、議員は、国民を守るために働くことが仕事だ。それが「迷惑」とはどういうことか。
勧告は「命令」ではなく「お願い」であるべきものだ。
「われわれは国民を守る義務がある。したがって勧告を無視してイラクに入国し、その結果拘束されても、それを全力で救う努力をします。だが絶対救えるということはできない。だから自粛をお願いする」
もしくは、自己責任と言うのであれば、
「自己責任として、行くのはかまわない。日本国はその意志を尊重する。だが、国策としてテロに屈することはできないので、救助にむかうこともない。それを承知で行動してもらいたい」
このどちらでもない言動、行動は、責任と論理の不在を意味していると思う。

にもかかわらず、その政治家の言葉を鵜呑みにして、もしくはそれに乗じて、社会全体が三人とその家族の非難大合唱を始めそうな予感がして非常に恐ろしい。

レイプされた人に、あなたがミニスカートなんかはいてるから襲われたのだ、と非難する心根と同じだ。被害者が自ら受けた犯罪に責などあろうはずがない。それをあるとする論理は、犯罪者の側に荷担して、犯罪を許容すらしていることになるのではないか。

ところが、政治家のみならず、それを監視して批判を加える立場であるはずのメディアもまた非難を早速開始した。
人質解放が告げられる前にすでにそれを始めていた週刊新潮は、見出しを見ただけでも醜悪きわまりない。日頃「加害者の人権より被害者の人権を重んじるべきだ!」と言っている人たちが、被害者の過去やプライバシーをあげつらい、攻撃するのだ。
しかも三人のうちの一人はジャーナリストである。退去勧告が出ている地域にいく奴が悪い、と言うことは、報道は必要ない、と言うことだ。あるいは、日本人ジャーナリストは安全なところにいて、外国人に危険な地域の報道はしてもらおう、ということなのだろうか。

政府とメディアが非難をはじめることによって、どう考えればいいのか迷っていた国民も、非難していいんだ、と思ってしまい、それを声高に言い始め、その連鎖が起きる。
これまでも、この国の社会が論理を重んじない、論理が不在である不安を書いてきたが、その不安がますます募っている。

論理だけではない。
心が、ない。人情とかやさしさとか、言い換えれば他人の立場や思いに対する想像力がない。
この間の首相を見てきて、ほんとうにこの人は心のない人だと思うことばかりだった。
これもまたおそろしく連鎖しやすい社会なのである。

小さな大切な声がことごとくつぶされるような世の中に雪崩をうってすすみはじめる前兆ではないかと、今、ほんとうに恐ろしい。

2004.04.17 - 12:59 AM ||コメント (0)

「知らしむべからず」

17日の「ほんとうの悪夢がはじまったのかもしれない」にパウエル長官の言葉を引用しましたが、これは新聞サイトからの孫引きでした。
米国政府のサイトで、そのインタビューが公開されていることを知りました。
http://www.state.gov/secretary/rm/31489.htm

ところでこの公開ページを見て、日本での情報公開はどうなのかと探してみました。
首相も官房長官も、あれほどテレビではコメントを出していながら、それをサイトには全く載せていません。酷い。
小泉総理の演説・記者会見等
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/index.html
内閣官房長官の記者発表内容
http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/index.html
しかし内閣府でも、官房長官以外の大臣の会見については細かく出ているのです。
内閣府大臣記者会見要旨
http://www.cao.go.jp/kaiken_youshi.html
どう見ても、総理の情報が一番少ない。官房長官は「記者発表」のみで「記者会見」は皆無。
なんだこりゃ。
「由らしむべし、知らしむべからず」ってことですか。

首相官邸のサイトは、公開ではなく広報、PRを目的としていることが明らかです。
例えば「郵政民営化準備室の立上げで訓示」なんて話は、ちゃんと編集されたナレーション入りの動画ですばやく載ってたりするわけです。

お金かけるところが違います。間違っています。
企業サイトでさえ、まずはできる限り情報をデジタル化し、できる限り情報を公開することが先決で、動画やFlashで「飾る」優先度はずっと低いと思うのですが、国がこんなことやっていてどうする。

政府は情報公開をしたいのではなく、広報宣伝をしたいのだ、ということは動画ひとつだけを見てもよくわかります。例えば「郵政民営化準備室の立上げで訓示」というビデオ
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumivideo/2004/04/26yusei.html
を見ると、せっかくの動画でありながら、音声はずっとナレーションの人がしゃべっているだけで、首相の訓辞でさえ首相の声が入っていないのです。
情報公開が目的なら、編集もナレーションもいらないから、訓辞を全部載せるべきでしょう。なおかつ訓辞の内容を逐語テキスト化すべきです。
そんなことよりも準備室の看板を首相自ら揮毫したなんて映像の方が重要なんですね、小泉さんにとっては。

米国国務省の記者会見ページでは毎日の会見内容が、テキスト、音声、ビデオで全部公開されてます。テキストのページは、それ自体ほとんどテキスト主体なのですが、ご丁寧なことにさらにシンプルな印刷用のページが用意されています。
http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2004/

インタビューの内容ひとつ、サイトのページひとつ見るだけで、米国と日本の、国、国民、民主主義のありかたの遙かなる隔たりがあまりにも明らかで、愕然とします。

地方政治はまだましのようです。
東京都は会見内容がビデオで全部見れます。会見時はライブもやっているようです。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/index.htm
長野県は、知事の記者会見やシンポジウムなどを動画とテープ起こしテキストですべて公開しています。記者の質問も名前入りで読めますので、それが記事になったのと比較することも容易で、県や知事についての情報だけでなく、新聞社や記者がどのようなフィルタとなっているのかを知ることもできます。
http://www.pref.nagano.jp/hisyo/governor/governor.htm

メディアのフィルタを通さず、オリジナルの情報に市民が直接触れることができ、それをもとにして自らの頭でモノを考えられるという、民主主義を正しく動かすための道具、インターネットがここにあるのに、依然として「余計なことは知らせなくていい」と考える国を、どうしたらいいのでしょう。
すくなくともぼくらは、できる限り自分で情報を探し、集め、比較して、それを元に自分で考えるということを、かなり努力しないといけないようです。
ぼくは自分が流されやすくて、流されてしまうのが本当に怖いので、ますますそう思います。


※なお、パウエル長官インタビューの該当箇所を省略なく訳してみましたので、興味のある方は下手な訳でよければどうぞ。

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2004.04.29 - 06:43 AM ||コメント (0)

とらわれのひとびと

ふだん、皇室関係の報道にはまったく関心がないぼくですが、皇太子の発言のニュースには、「ずいぶん長い時間を割くのだなあ」と思いながらも、その長い時間、番組に釘付けになってしまいました。

キャリアウーマンで、浩宮さんとの結婚を否定していたころの雅子さんはとてもカッコがよかったので、皇室に入った後、見事に皇室スマイルと皇室手振りになり、話し方や言葉の選び方もすっかり変わってしまったのがひどく残念でもあり、完全に「転向」したのかと思っていました。

しかし、親と国家からの想像を絶する圧力で結婚せざるを得なくなったとき、やってきた外交官としての職務を、形を変えて行うだけなのだと、むりやりにも自分の心に言い聞かせたのだろうということが、今度の皇太子の発言から、想像できます。それさえもが許されないことに、ものすごい精神的なダメージを受けたのでしょう。

それにしても、皇太子があのような形で状況と心情を吐露するしか方法がないというのは、皇族という存在が現代の日本社会に今のような形であることの歪みとしか言いようがない。

自分たちで判断して行動することを完全に奪われ、そのうえ努力ではどうしようもない「世継ぎ」を強要されるというのは、虜囚への虐待と同じとさえ言えるでしょう。
これまでも、「国民の象徴」でありながら(正確には象徴は天皇ひとりですが、まあ皇族全体もまたそうだと言っていいでしょう)、人権を大幅に制限されているがゆえに自身は国民ではないあの家族には、強い痛ましさを感じていましたが、特に雅子さんのように、仕事で自己実現をすることを知り、それに喜びを感じる経験をしてきた人の悲痛さは想像を絶するものだったようです。

新聞の報道では、皇太子の「真意は不明」という言葉が使われているけれど、そしてよく政治家の発言などにもこの言葉が使われますが、この場合不明なのは「事実の詳細」であって「真意」ではないでしょう。なんかこういう言葉の使い方はゴマカシが入っているようで嫌です。

また、「世継ぎ問題を優先し、外国旅行を絞った」ということなんですけれど、外国旅行をしないようにすることと、子どもを作ることの関連がぼくにはよくわかりません。
旅行に行ってるときのほうが、お互いに気分が高まったりして、夫婦でも恋人でも、そういう気分になりやすいような気がしますけれど、だとすればなんで外国に行くのを制限するのでしょう。皇太子夫妻の旅行ともなると各所訪問・挨拶・晩餐会・パーティなどでヘトヘトになって、それどころじゃなくなるんだろうか。

ある幹部は「ご夫妻と意思疎通が足りなかった面もあるが、今はできる限りの努力をしている。ただ、細かいご体調など私的な部分に踏み込むのははばかられ、対応は難しい」と言う。(読売新聞20040515)
これもヘンです。「お世継ぎ」っていうのは、子どもづくりという本来は思いっきり超私的なことを、皇位継承者たちの公務としていることのはずです。宮内庁自ら「世継ぎ問題を優先」って言ってるんだから明らかでしょう。セックスについては踏み込ませていただきますが体調には踏み込めません、って何なんだ。

いったい右翼の人たちは何をやっているんでしょう。ぜひもっとがんばってください。

2004.05.15 - 12:45 PM ||コメント (0)

朝までの番組とジャーナリストと日記と

「朝まで生テレビ」、たいてい夜中に漠然とチャンネルを回していて(チャンネルを「回す」という表現も古いなあ)、たまたまやっていると見てみるのだけれど、先週末もそんな感じで「あれれ、今日は田原さんじゃなくて宮崎さんが司会?!」と見始めました。

意外、と言っては失礼だけれど、宮崎哲弥さんの司会ぶりはキビキビとしていて見事で、ぼくは田原さんの朝生よりもずっと面白かった。きちんとした議論になっていて、つい最後まで見てしまいました。最後まで見たのはひさしぶりです。
パネラーもよかったのかもしれません。最近メルマガを取り始めた日垣隆さんが初出演、日記をよく読むようになった勝谷誠彦さんも出ていたし。

田原さんはなんで休んだのかと思っていたんですが、今度参院選に出馬する蓮舫さんの30日の日記に、田原さんの娘さんが双子のお子さんを生んだとの記述が。身体の調子が悪いのかなどと想像してたんですが、おじいちゃんとしての活動のためだったのなら、よかったよかった。

上記のように日記を持つ方々が朝生出演者だったから、番組のことをどう書くのかと興味があり、見たことのない他の出演者のサイトも探してみてしまいました。
番組では、小泉訪朝を評価する自民党の議員お二人が孤軍奮闘で、まあ要するに(当然のことながら)それ以外の人全員からコテンパンだったわけですが、山本一太議員は自ら「お粗末」と総括していました。しかし、毎日日記を書いていることにはちょっと感心。
今回はテーマが北朝鮮だったこともあるでしょうが、右と左、保守と革新といった垣根を越えての議論になっていて、小林よしのりでさえ、自民党のふたりよりはるかに真っ当な意見で興味深かった。


ところで、先月の朝生は見ていなかったのだけれど、イラクで亡くなられた橋田信介さんが出演していたのですね……。
また、勝谷さんはイラク取材にいったときに橋田さん小川さんと同行していたそうで、橋田さんたちの生死がわかる前後からここ数日の、力を振り絞るように書かれている日記は、痛々しくもジャーナリスト魂を表出しています。

亡くなったお二人も、ぼくも、日本人であるがゆえに、日本語による豊富な情報が得られるわけですが、しかしそれをきっかけとして、「日本人」という枠組みに囚われることなく、中東の国々で起こっている争いと死に思いをめぐらせられるように、頭と心を働かせたいと思います。

しかし政府は、橋田さん小川さんのご遺体輸送も家族から飛行機代をとるんですかね? とらないと整合性とれないよね、「自己責任」だものね。ふん。


勝谷誠彦さんの日記、朝生直前の28日。
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20040528

山本一太議員の日記で「お粗末」な「パフォーマンス」と自ら記載。
http://www.ichita.com/03report/data/1085777189.html

蓮舫さん(今回の出演者ではないけど)の日記での朝生感想
http://renho.jugem.cc/?eid=45

日垣隆さんサイト(サイトには朝生の記述はないけど)
http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/

宮台さん、宮崎学さんの日記にも朝生の記述は今のところなし。
宮崎哲弥さんはサイトらしきものはあるけど2年ぐらい更新してないんですね。
小林よしのりはサイトがないみたい。

2004.05.31 - 11:06 PM ||コメント (0)

死刑になりたいための犯罪

少女二人を襲い、殺人未遂容疑で逮捕された高校一年生が、「死刑になりたかった」と語ったそうです。
少年犯罪に限らず、事件の真相というものは、こうした言葉の片鱗だけではほとんど何もわからないとぼくは思っていますが、この事件についての真実はともかく、「死刑になりたいことが人を殺す動機になりうる」、という提示をしたことに、非常に重要性があると思いました。正直、ちょっと驚きました。

「死刑になってもいいから人を殺す」ということはこれまでも聞いたことがあり、死刑を覚悟して罪を犯す人にとっては、死刑が抑止力にならず、その点でもぼくは死刑の存在を疑問視しています。
ただしかし、殺しはしたいが自分は死にたくないという、死刑が抑止力になる人ももちろんいるでしょうから、必ずしもこれだけでは死刑反対の理由にはなりません。

ですが、死刑になりたいから罪を犯すということは、これとはまったく異なり、人を殺すことでなく、死刑になることそのものが目的です。死刑の存在そのものが、犯罪を生んだとも言えるわけです。
今回の場合は幸い未遂に終わりましたので、仮に起訴されても死刑を求刑されることはないでしょう。
が、もし重罪を犯していたとすると、それに対し死刑を求刑したり言い渡したりすることは、容疑者の望んでいること、犯罪の目的の実行そのものを、検察や裁判所がしてあげることになり、それは犯罪を裁くことになるのだろうか、ということがあります。
さらに、もし死刑されるために罪を犯した人を死刑に処することになったら、それは国家が、法で禁止されているはずの自殺の幇助をすることにほかなりません。
したがって、死刑に値すると判断される犯罪に対しても、容疑者の目的を果たさせないために、無期懲役とすることが考えられますが、これは事実上の刑罰軽減になってしまいます。
また、もしそういう判例ができると、今度は、もともとは死刑が目的でない容疑者が、罪を犯してからの言い逃れとして「死刑になりたかった」と主張することが有効だということにもなってしまいます。

つまり、どのようにしても、「死刑になりたい」ということを目的とした犯罪を裁くのは容易ではないと想像できます。

これをどのように解決するべきなのか、もっと考えてみないとよくわかりませんが、死刑の存在の問題、もしくは死刑以外の極刑がないことの問題のように思えています。

2004.06.03 - 04:37 PM ||コメント (0)

『A2』にこの社会全体の恐ろしさを見る

ずっと見たいと思いながら、レンタルショップに行くといつも借りられていて見ることができなかった『A』および『A2』をようやく見ることができました。
森達也監督の、オウム真理教(宗教団体アーレフ)の内部に入り込んで撮影された映像をメインとしたドキュメンタリー映画です。
『A』は、若き広報部長を追い、『A2』は、各地での様々な住民運動とそれに対する団体側の対応を中心に追ったドキュメンタリー。いずれも2時間を超える作品で、どちらか一方を見るとしたら『A2』がよいでしょう。『A』を見ていなくても問題なく見ることができます。現在の日本の社会が抱えるようになっている様々な問題がより深く浮き彫りになっています。

ぼくは特に『A2』を見て、最近抱き続けている不安がますます増大しました。

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2004.06.16 - 08:00 PM ||コメント (0)

脅威なのは北ではなくここ。

北朝鮮で大規模な爆発があった、という報道があってからずいぶんたつが、結局何だったのかまったくよくわからない。
しかし、反面、大変よくわかったことがある。
日本政府の情報収集能力が皆無だということだ。
爆発の報道はすべて米国か韓国からの情報で、日本が独自に調べたものは何も出てこなかった。核爆発かどうかなどは、地震や放射性濃度の変化など国内の調査だけでわかりそうなものだが、そうした情報でさえ出てこないのはなぜなのだろう。
イラク人質事件のときにも情報収集能力の不足は明らかだったが、仮にも一番近い「脅威」と設定している国の情報をこれほどまったく収集できないことは、それこそまさに脅威だ。

2004.09.18 - 03:13 PM ||コメント (0)

死刑執行

刑事訴訟法には

第四百七十五条
死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2   前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
とありますから、判決から一年近くたって執行された今回の死刑は、法に則れば「異例」ではありません。
むしろ判決から何年も執行されないことのほうがおかしいのです。現在も判決確定から10年以上たってまだ執行されていない人が、10人以上もいるそうです。
死刑制度があり、法で執行期間が定められているのに、法務大臣自らが違法に実施しないのはいったい法治国家と言えるのでしょうか。

死刑という刑がある以上、判決と同時に、執行日(6ヶ月以内とするならその中で)を即決し、実施すべきでしょう。他の刑罰で、例えば罰金刑に処せられた人から罰金をいつ徴収するかわからない、なんていうことはないんだから。

それができないのは、冤罪の可能性、加害者の意識、被害者の意識、などを考慮せざるを得ないからで、つまりそもそも死刑という制度自体に問題があるのです。

必ず死ぬことはわかっているが、いつ死ぬかわからない、というのは、人間だれでも同じことであって、そのような状況においておくことが果たして刑罰になっているのかさえ疑問です。

死刑制度にはやはり反対です。

また今回の死刑囚には、獄中で結婚した妻がいます。詳しいことはわかりませんが、報道を読む限り、かなり真摯に死刑囚を思いやり、彼がこれまで受けてこられなかった(おそらくはそれがゆえに罪を犯してしまった)愛情を注いでいたようです。
結婚制度とは何なのか、ということもまた、考えさせられます。

<宅間死刑囚>「死刑で当たり前」と話す 臨床心理士ら会見(exite/毎日新聞 2004.9.14 23:35)

2004.09.20 - 03:49 PM ||コメント (0)

犠牲への関心と無関心

イラクの人質。
以前の5人と比しても、本人の意識の問題がかなりあるようなので、それで同情の余地なしとされるのもやむを得ないのかもしれません(そのようにあからさまに表現する媒体はありませんけれど)。
とはいえ、自衛隊派遣の「犠牲者」であることは確かだし、同情の必要はなくとも、「犠牲になっていい」わけはありません。
状況も前の二回よりかなり深刻なので、たまたま地震の報道が重なっているのも災いしているでしょうが、メディアが、あるいは一般の風潮が、あまりに冷たいのが気になっています。
その冷たさも、「自己責任」という非難さえない、突き放した無関心という雰囲気。とても気になります。
天災である、親子三人の生き埋めに一喜一憂しながら、人災である人質事件には無関心であるということ。
これは、とても怖いことではないでしょうか。

2004.10.28 - 11:46 PM ||コメント (0)

天皇の名の下で

国旗・国歌「強制でないのが望ましい」
天皇陛下が園遊会で 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。[asahi.com (10/28 23:41) ]

こりゃすごい。
過日来の浩宮さんの言動ともあわせ、天皇家は内部から変わろうとしているのかもしれない。

産経新聞は園遊会の記事はあるが、このやりとりには一言も触れず。
日経と読売は、園遊会記事の見出しとメインの内容を地震被災地へのお見舞いにして、「強制でないことが望ましい」発言は記事の最後に付け足してあるも論評はなし。

2004.10.29 - 01:41 AM ||コメント (0)

情報の収集・分析・評価

9月中旬に、北朝鮮で大規模な爆発が起きた、と報道されたとき、日本の政府からもマスコミからも、自前で確認した情報というものがまったく出てこないことに今更ながらびっくりしました。韓国が、米国が、英国が、こういっている、という伝聞ばかり。
もっとも近くにある脅威と言ってもいい国家に対して、情報収集能力も評価能力も何もない、ということはいったいどういうことなのか。
また、それだけでなく、海外から寄せられる情報についての分析や評価も、政府からは出てこず、マスコミでも、ごく限られた軍事・外交の民間の専門家が論評していたにすぎませんでした。
小泉は「今後よく事実関係を確認しなければならない」と言っただけです。なんだそりゃ。そんなの当たり前だし、むしろ、まだ始めてなかったのかヨ!と三村100人分ぐらいのツッコミを入れたいところでした。

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2004.11.19 - 10:36 PM ||コメント (0)

尊皇情意

【尊・皇情意】(そん・のうじょうい) 
天皇家の人々の感情や意志(これを「皇情意」という)は、一般国民の感情や意志が尊いものであるのと同じように、尊いものと考えること。


前に、天皇家は変わりつつあるのではないか、と、どちらかというとポジティブに書いた(エントリー:天皇の名の下で)のですが、過日の弟さんの発言を聞いて、むしろネガティブにとらえなければいけないのかもと思っています。

要は、天皇家の人々が、悲鳴を上げはじめているのではないかと。

かねてから、彼らの大変さが並大抵でないことは想像にかたくなかったのですが、その大変さが尋常な状況ではなく、もはや限界なのではないでしょうか。

女帝容認論もよく語られていますが、女帝を容認などしたら、ますます混乱と苦悩を天皇家に与えるだけ(→エントリー:女性天皇はOK、なのか)なのではないでしょうか。
制度的にも問題があるように思いますし、混乱するのは天皇家だけではないでしょう。賛成・推進している政治家はちゃんと長期展望を持って考えているんでしょうか。ただ今現在、天皇家に男の子どもがいないからというだけで考えてるんじゃないかと疑ってしまいます。


一番の彼らの悲劇は、だれも、何も、彼らを守るものがない、ということです。

ドラマで勤王の志士たちを見たあとだから、というのでもないのだけれど。
右翼の諸君はいったい何を考えているのか。何をしているのか。

現代の日本社会は国家と法によってひとの生活が守られるのが原則ですが、今の天皇家にとって、国家と法は守ってくれるものではなく縛るものでしかない。人権も自由も与えられていない。
左翼の諸君はいったい何を考えているのか。何をしているのか。

上にも、下にも、左にも、右にも、守ってくれる人がおらず、守ってくれる制度も法もない。
だから、浩宮さんは雅子さんを「自分が一生守る」と言うしかないでしょう。
じゃあ浩宮さんを誰が守るのか。あるいは、今一番困っているだろう天皇皇后を誰が守るのか。
誰も、何も、ないですよね。


今や、錦の御旗が絶対権力の象徴ではないのだから、もうそろそろ、彼らを特殊な存在でなくてもよいことにしてはどうなのでしょうか。
どうせ、彼ら抜きで、日の丸や君が代推進はしちゃってるし、そういうのを推進する人たちにとっても、すでにどうしても必要な存在ではないんじゃないでしょうか。

まあ、すぐに一般国民とみんな一緒というわけにはいかないでしょうが、少なくとも、国民としての権利と自由がちゃんと持てるようにできないものでしょうか。

身分制度のないはずの自由と民主主義の国の中で、タテマエと実質の両面で唯一残されている、身分制度の悲劇、だと思います。
悲劇が継続し、もしくは拡大しないために、もっと根本的な解決が必要です。

2004.12.15 - 01:59 AM ||コメント (0)

武士が鉄砲をもつとき

『新選組!』を見ていて、本筋や脚本には関係なく持った疑問がいくつかありました。
そのひとつは、「刀の時代はいったいいつ終わったんだ?」ということでした。

鳥羽伏見の戦いでは、薩長軍の鉄砲の威力の前に、刀で武装していた新選組を含む旧幕府軍があえなく敗退した、というイメージでした。戦いの後、土方歳三が「刀の時代は終わった、これからは銃だ」と言ったというシーンがありました(史実のようです)。
それを見ていて「おい、トシ、信長の鉄砲隊はそこから300年近く前だぞ?」と。

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2004.12.18 - 03:19 PM ||コメント (0)

NHKを応援します

これまで、NHKには受信料を払う理由がない、と思って、受信料を払ってきませんでした。
今日の『NHKに言いたい』を見て、気持ちが大きく変わりました。

NHKには、受信料を払わない理由があります。
払う理由がないのではなく、払わない理由、払うべきでない理由があります。
ですから、払いません。
そういうことで、よろしくお願いします。

これまでは、いろいろな思いをもって、払う人、払わない人がいて、それはそれでよいと思っていました。
しかし今後は、積極的に、払わないようにしましょうと呼びかけていきたいと思います。

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2004.12.20 - 01:44 AM ||コメント (0)

情報不伝達による過失致死・20万人

インド洋大津波が起きてから一ヶ月あまりがたちました。
人類の歴史に残る災害の中でも、これほどの規模の災害はなかったのではないでしょうか。
ことにこの災害においては、情報を伝えることを仕事としているぼくの心は強く痛みます。
「情報が伝わらなかったことによって膨大な死がもたらされてしまった」からです。
地球上に情報網がはりめぐらされているこの時代において、地震直後でなく、数時間を経て津波が襲った地域でも何万人という被害が出てしまったことには、なんのための情報網だろうか、と思わざるを得ません。
国家間の地震・津波情報網ができていなかったのは国家やその国民の責任ですが、そのようなシステムがなくても、すでにこれほどインターネットが普及している今、個人の情報発信でも何かができたのではないか、と考えると、本当に心が痛い。

情報やインターネットに関わる者としてだけでなく、日本人としてもまた、心が痛みます。
「TSUNAMI」という言葉が英語になっているように、世界の中でもその恐ろしさをよく経験し、科学的にも知識を蓄えていた日本の国や科学界が何もできなかったこと、しなかったこと。
Nipponia Nipponという名の鳥を絶滅させてしまったことと同様に、ぼくたちはこのことを恥としなければいけない、と思います。

また、これは言っても詮無いことだとはわかっていることなのですが、地形上のこと。地震からの津波が各地にどのように伝わったのかのシミュレーション[aist.go.jp]を見ると一目瞭然、インドシナ半島、マレー半島、スマトラ島と連なる半島や島々が津波に襲われたことにより、太平洋への津波の防波堤になったこと、です。日本を含む太平洋に面する国々に津波がもたらされなかったのは、防波堤となって被害を受けた場所があるからこそでしょう。

何よりも、そしてまたしても、心ない首相が見事に象徴する、この国全体を覆う心のなさが気になります。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは恒例であるラデツキー行進曲の演奏を止めるという気遣いをするなど、世界にはこれを他国の出来事ではなく、「われわれ」人類が受けたことという意識を持つ国や人々は少なくありません。
ですが上記のような日本および日本人の責任は言わずもがな、日本人の被害数を強調した報道や、地震・津波直後であった年末年始の番組編成・内容にほとんど何の変更もされなかったことは、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたう憲法を持ち、国際貢献を声高に叫んでいるはずの国の国民(ぼくを含む)がほんとうは何を考え、感じているのか(いないのか)を如実に示しています。

2005.01.29 - 05:33 PM ||コメント (0)

郵便物配達のあまりの非効率・アナログ度

帰宅すると、郵便受けに「郵便物お預かりのお知らせ」が入っていました。
再配達の依頼をしないと。
「お知らせ」によると、依頼の方法は、プッシュホンの自動受け付け、コールセンター受け付け、インターネット、それに郵便かファクス(「郵便物お預かりのお知らせ」の紙に記入して送る)という5つの方法があります。
こういうとき、だいたいプッシュホンの自動受け付けを使うんですが、入力しなければならない数字がずいぶん多そうです。
プッシュホンの自動受け付けだと、
・自分の郵便番号
・電話番号
・初回配達月日
・コード番号(「お知らせ番号」)
・郵便物の種類を示す番号
・希望配達月日
・希望配達時間帯
という項目を入力する必要があります。メンドクサ。
そこで、コールセンターの方が簡単だろうと、電話をかけました。
基本的にはコード番号だけで分かるんだろうけど、自動受け付けの場合は入力の間違えを想定して、念を入れた情報を入力させるのだろうと思ったのです。だからコールセンターならコード番号言えば向こうから名前や住所を確認してきてそれで終わり、だろうと予想したのですが、とんでもなかった。
コールセンターでは、上記の項目に加えてさらに、
・住所
・受取人名(ぼく)
・差出人名
・配達担当者名
・保管期限日
を聞かれ、コード番号を聞かれたのは、他の項目をほとんど聞かれた後でした。
いったいどんな管理してるんでしょう?
コード番号だけでわかるようになってないのでしょうか。何のためのコード番号なんだろう。
しかも、なんでプッシュホン受け付けでは聞かれない(入力できない)情報まで、しかもなんで配達人の名前まで聞かれるんでしょうか。
郵便番号や名前、配達日時などは、「郵便物お預かりのお知らせ」に手書きで書いてあるのです。配達の人が書いたのでしょうが、コードと対応できる控えもないのでしょうか?
何番の郵便物を誰がいつ配ったか、ということすら、システムに入力していないのでしょうか?

あとで「郵便物お預かりのお知らせ」を注意深く見てみると、結局、一番こちらの手間が少ないのは、郵送、またはファクスすることでした。この場合だと、こちらは希望配達月日の入力と希望配達時間帯の選択、そして電話番号を書くだけです。
郵送だとポストまでいく手間があるから、ファクスが一番簡単ということになりますが、この細長い紙はちゃんとファクスが噛むんだろうか? 企業で使うようなコピーとの複合機ならいいでしょうが、家庭用のファクスではうまくいかないこともあるような気がします。
インターネットでの受け付けページも確認してみましたが、やはり氏名や住所などが必須項目です。しかし逆にコード番号は必須ではありません。
それにしても、なんという非効率。なんというアナログ。ほとんどシステム化されていないということではないですか。そしてそのシステム化されていない部分は、客の手をわずらわすことで補っているわけです。
プッシュホンやインターネットでの詳細な入力は、コードとの照合確認のためではないと思われるので、いわば客にデータ入力をさせているようなものです。

しかも、それからしばらくして、郵便局から確認の電話が入りました。電話で伝えたコード番号が間違って記録されていたようです。ぼくが言い間違えたのか、向こうが聞き取り間違えたのかわかりません。しかしこのことでわかるのは、配達物の情報がコード番号とともにあらかじめデータ化されていないこと、それゆえにコード番号が、情報の照合に使われていないこと、です。でなければ、最初に電話していたときに照合して、その場で訂正されていたでしょう。さらにいえば、コードには、誤り訂正のためのチェックデジットも含まれていないということですね。
また、番号の間違いは、コードの中の「2」を「7」と取り違えていた、というものでした。「に」と言ったのを「なな」もしくは「しち」と聞き間違えるでしょうか? 想像するに、これはひょっとして手書きで記録されており、書かれた数字が「2」か「7」か判別しにくかったということじゃないでしょうか? ということは、コールセンターで受け付けて、詳細に聞かれたデータでさえもデータ化されておらず、手書きの伝票をまわしてるってこと?

いやー驚いた。ひどいもんですね。
あまりにひどすぎて、さっさと民営化すべきなのか、こんな状態で民営化して大丈夫なのか、判断がつきかねます。

2005.02.09 - 08:01 PM ||コメント (1)

カッターナイフを持ち歩いてはいけません。

UFJ銀行のATMに隠しカメラが仕掛けられていた事件。
今日になって、一週間も前に逮捕されていた男性のことが報道されました。
しかし、その逮捕容疑にびっくりしました。
銃刀法違反。カッターナイフを持っていたから。
カッターナイフを持っていると銃刀法違反になるんですか?

そもそもこの事件は、隠しカメラが発見された、というだけで、今現在、まだ実際に被害が発生した確認はされていません。つまり、犯罪が起こっているのかさえ分からない。

犯罪を未然に防ぐことはもちろん必要ですが、しかしそれはこのような別件の、しかも直接の容疑そのものさえ成り立つとは思えない恣意的な逮捕によって、であってはならないでしょう。

この事件そのものよりも、このようにして、いともカンタンに犯罪ではないことによる逮捕が許されてしまうことに慄然とします。
そして、それを報道するメディアがいずれもこのことを問題としておらず、無批判に、むしろ逮捕を当然のごとく伝えていることにもまた。

なぜ一週間前の逮捕がいまさらこのような形で報道されるのか。
警察の発表もしくはリークをそのまま伝えたものでしょう。
独自に取材したと思われる内容は皆無です。
例えば、このことを報じる朝日の記事 [asahi.com] の文章は、ことごとく文末が「という。」で終わっています。

このようなことの繰り返しが、「悪いことをするヤツにはどのようなことをしてもいいんだ。懲らしめてやらなければならない」という風潮をセケンに作ります。
法ではなく、事実に基づくのではなく、単純な感情のみを理由にして、人を裁いていい、傷つけてもいい、という社会を作ります。

……いえ……もう作られつつあるのですね……。

2005.10.21 - 12:07 AM ||コメント (0)

女性天皇はOK、なのか

首相の開催する「皇室典範に関する有識者会議 [kantei.go.jp] 」において女性天皇・女系継承を容認することで一致したそうです。
なんとなく世の中の雰囲気は「女性が天皇でもいいじゃん?」という方向ですが、しかし、そう簡単なことではないのでは、という気がしています。

特に女系継承という点については、天皇という「システム」をどのようにしてゆくべきなのかという観点からの議論を尽くさないまま、急いで決めていいことではないでしょう。
ことを性急に運ぼうとしているのは、浩宮さんや秋篠宮さんのお子さんたちがまだ幼いうちに決めないと間に合わなくなる、ということでしょうけれど。実際、いかに急いで決めようとも、いまさら紀宮さんの結婚と皇族離脱を翻すことは無理でしょうし。

まあ現実には、女性天皇とともに女系継承を認めない限り、目の前に迫っている天皇家断絶は避けられない可能性が高いので、選択肢はあまり多くありません。
とはいえ、女系継承を認めたところで、断絶しない可能性をやや増やすだけ、問題をやや先送りするだけではないかとも思えるので、やはり、憲法改正論議とあわせて、天皇家および天皇制のありかたをここできちっと考えるべきです。

ぼく自身がまず素朴に抱くのは、現在の皇族の方々のご苦労やご心労はすでに想像するにあまりあるので、この上さらに、皇位継承にともなうつらい思いを抱く人を増やしてほしくない、という思いです。
浩宮さんでさえあれほど配偶者捜しに苦労し、またその相手となった雅子さんは、子どもを作らなければならないという重責に相当さいなまれたはずです。女性天皇となった人は、そのおふたりが経験した両方のプレッシャーを一身に背負わなければなりません。
天皇家の小さなお子さんたちをかわいいと思う方々は、であればこそ、彼女たちをそのような重圧のなかに放り込むことになることを、想像してみてください。


ぼくは、国家の中に天皇というシステムを組み入れない道を模索するべき時期にきていると思います。
ですが、多くの国民の精神的な支柱になっていることもまた事実のようなので、完全な共和制への移行が可能なのか、もしくはそれが良き選択なのかはまだよくわかりません。もう少し考えてみたいと思います。


朝日選書760『女性天皇論』 中野正志著 朝日新聞社刊
ISBN: 4-02-259860-3
天皇制および天皇について知るガイドブックとして、これは見事な力作です。タイトルは「女性天皇論」とありますが、これまで天皇の歴史ならびに制度について、様々な立場からなされてきた数多くの人の発言や議論、論文を緻密に総覧し、その上で女性天皇についても冷静に提言しています。

2005.10.31 - 12:12 AM ||コメント (0)

ひとが殺されない幸福

組閣をみても、また組閣の影で成立してしまった法律をみても、心が重くなるばかりで、しかもその重さにだんだん慣れている自分を感じて、うーんと思っていた矢先のニュース。

杉浦法相は31日、法務省で行った就任後の記者会見で、死刑執行について「サインしない」と述べた。(asahi.com 2005年10月31日23時43分)

ああ、少なくともこれからの一年は、国の名のもとに人が殺されたことを聞かずにすむのですね。

短い報道で、詳しい発言はわからないし、杉浦正健氏のことはよく知らないがざっと検索してみる限り、進歩的というよりはむしろ超保守の人のようです。それでも、この発言は、素直に喜びたい。

2005.11.01 - 12:11 AM ||コメント (0)

ひとが殺されない幸福はあるのか?

前エントリーを書いたのもつかの間、

杉浦正健法相は1日未明、死刑制度をめぐる自身の発言について「法相の職務の執行について述べたものではなく、誤解を与えたとすれば訂正する」とのコメントを発表した。(00:57 kyodo.co.jp)

なんなんだいったい。

2005.11.01 - 01:10 AM ||コメント (0)

野口英昭さんの死の報道

野口英昭さんの、沖縄での死についての情報の伝わり方は、異様です。
新聞ではほとんど報道がなくなりました。少し前までの報道では「自殺した」という枕詞が名前の前に何の疑問もためらいもなくつけられていました。
一方、テレビでは「自殺」を補強するとされる不自然な情報が流され、遺族の言葉が強引に引き出され意図的に選別され、ねじ曲げられて伝えられています。

証拠の残りにくいメディア、論理的な検証ぬきでは伝えにくいメディアでは情報を伝えず、映像によって情感と印象だけで伝えてしまうメディアでの露出を増やすやり方で、事実を覆い隠そうと、なりふりかまわない方法がとられています。

恐ろしいのは、警察が必ずしも市民の味方にならないことや、事実を知らせようとしないこと、も、もちろんですが、それよりなお、メディアが完全にジャーナリズムの立場を捨てきっていることです。(いまさら「ジャーナリズム宣言」しちゃってる大新聞なんて、もともと自らジャーナリズムじゃなかったと認めてるわけですが、それでも「宣言」してなお矜持のかけらもないとは……)
そして、これほどいとも簡単にコントロールされてしまうメディアを支えているのは、それよりもっと簡単にコントロールされてしまう市民なのでしょう。

今はまだ、インターネットが力を得ていない。テレビや新聞よりも力のないメディアであるからこそ、テレビや新聞には流れない情報が玉石混淆で流れます。
ですが、それは幸いと言うべきでしょう。
力を持ってしまったそのときには、インターネットもまた、テレビのように、誰かによって選別されてしまった情報が、それを担いでバカのように躍る人によってのみ、伝えられるようになってしまうでしょう。

オルタナティブな情報発信源や、一様でない意見の場をまだ持てている今、そうした言葉のひとつひとつから、眼を放せないでいます。

2006.02.20 - 02:30 AM ||コメント (0)|トラックバック (2)

報道の垂れ流しを留めるために

「ペガサス・ブログ版」の提案[blog.so-net.ne.jp]、「分担して,この問題に関するすべての報道番組を録画保存するシステム」の構築の必要に賛同します。
VTR, DVD, HDDレコーダーがこれだけ普及している今、テレビ番組を「揮発性」ではないものとして位置づけられざるを得ないようにする活動はそれほどむずかしくないと思います。
同様の発想を漠然と以前より抱いていましたが、「ペガサス・ブログ版」で明快に提案されていますので、賛同するとともに、その活動になにがしかの助力をしたいと思います。

2006.02.21 - 01:29 AM ||コメント (0)|トラックバック (1)

堀江メールでEudora知名度アップ?

平沢勝栄衆院議員からも同じメールの、黒塗りがより少ないプリントが示されて、旗色の悪い永田寿康衆院議員。

そもそも永田議員が提示したメールは、彼の手に渡った時点で印刷されたものであり、それの入手経路だけでなく、技術的に得られるはずの情報をあらかじめ得ておかなかったようであるのは、ツメが甘すぎます。

あのプリントに気になる点があったので、実際に自分でEudoraをインストールして、同じ文面を送受信してたしかめてみました。
わかったこと。

  • プリントされている書体はMS Pゴシックで、印刷のタイトル部分の書式などからしてEudoraから直接プリントアウトしたものとみていいだろう。
  • メールヘッダはEudora上でメール単体を表示して印刷したときに付されるデフォルトのもの。

    →X-SenderやX-Mailerがあって他のヘッダ情報がないのはヘンだと思ったのですが、そのようなデフォルトでした。
    →最新のEudora 6.2ではX-Senderはつかないのですが、6.2は昨年11月にリリースされていて、それ以前のバージョンではX-Senderがつけられていました。(http://eudora.livedoor.com/support/faq/detail?id=58) したがってこのメールが出されたとされる当時の最新版でのデフォルトの状態です。
つまり、少なくともわかる範囲では、メールを別のエディタなどで作ったものには見えない、ということです。
(他のソフトで作ることも難しくはないが、わざわざ作るよりEudoraから普通にだすほうが簡単)

平沢議員が提示したメールでは、X-SenderにEudoraの名前が出ています(書式等、ぼくが確かめたものと一致しています)ので、Eudoraで出されたメールをEudoraで受け取ってそのままプリントアウトした、とみるのが妥当でしょう。
Eudoraはぼくも以前使っていましたが、しかしシェアからしてメジャーとは言えないメールソフトです。その一方、Eudoraを日本で扱っているのは今はライブドアですから、ライブドア社内でのやりとりとすれば送信も受信もEudoraであるのは自然です。逆に言うと、ライブドア外での、またはライブドア外とのやりとりであれば両方がEudoraであるのはやや不自然です。

それでもぼくが気になっている点はまだいくつかあります。

  • プロバイダやサーバや、インストールしているアンチウィルスソフトによって、ほかにも表示されるヘッダがあることのほうが多いのではないか。
  • なぜ本文の部分のみの行がすべて一文字下げになっているのか。(Eudoraの仕様かも、と確かめたのだがそうではなかった。それに署名部分は字下げされていないようです)
  • 本文中の数字部分はすべて全角を使用している。(コンピュータに慣れた人は一般に全角数字を使わないことが多い。堀江氏もブログでは英数字には半角を使っているようです)
  • 名前の前の「@」は? 一般にはあまりこういう書き方をすることはない。(堀江@ライブドアとか、選挙中でしたから堀江@広島、ならわかりますが)
    あえて考えれば、例えば同行している秘書が「堀江さんとこにいる」という意味でつけたのでしょうか。であるならばfromを塗って隠している理由にはなります

しかしこうしたことも、ライブドアの社員などから、ライブドアアカウントのメールを見せてもらえばわかることもありますし、そもそもやはりホンモノ(印刷でない、PC上で)のメールで直接確認していないのは甘すぎますね。少なくとも、経路情報のわかる詳細なヘッダを含むメールデータを確認するのは基本でしょうし、それがあれば強力な証拠になりますから、今回のような使い方をするならば必須でしょう。
本人がそのようなネットの基本知識を持ち合わせていなくても、それを補佐する技術的知識のある相談役が、国会議員のそばや、野党第一党の内部にいないらしいのは、お寒いばかりです。

平沢議員が提示したメールは、画像で重ねてみると永田議員のものとおそらく同一のプリントアウト(「同一のメール」であるばかりでなく)であることがわかります。メールの提供者はあちこちにあのメールを持ち込んでいたのではないでしょうか。

今回のメールは完全なガセではなく、なんらかの「元」があるように思います。しかしそうだとしても、今回の「騒動」は、不安材料がゾロゾロと増えてきていた自民党の体制を雰囲気的に挽回してしまう効果を残してしまいそうです。まったく何をやってんだか。

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2006.02.22 - 01:07 AM ||コメント (0)

偽りと贋の議会

メールの「真偽」ではなく「真贋」という言葉が使われているのが気になります。内容ではなくメールの存在のみに視点があるということでしょう。
しかしメールの「ニセ」って何だろう。
仮に堀江氏のメールを受け取っただれかがそれを引用してto:自分 bcc:誰かに送ったとしたら、それを「ニセ」という言葉でくくっていいのでしょうか。
ニセモノを作ろうと思ったらto:やfrom:をまずちゃんと作るでしょう。
そもそもあのスミ塗りのメールはどのようなものなのか、ということの検証や事実の開示がないまま、わけわからない展開になっていて、萎えます。

まあ、民主党のどうしようもなさがこれほど明らかになって、それはそれでよかったとも言えますけれど、希望(たとえそれがホンのわずかばかりのものだったとしても)がまた一つぱちんとはじけた感じ。

2006.03.04 - 10:48 AM ||コメント (0)

「ホテル・ルワンダ」に恥じる

一時は日本での公開が危ぶまれていたこの映画、mixi有志をはじめとするひとたちの努力が実り、ようやく公開にこぎつけ、ありがたいことに、見ることができました。
それにしても『オーマイニュースの挑戦』を読んでも強く感じたことですが、なんと自分が無知であることか。

国内のテレビや新聞の報道が、「公正」とか「不偏不党」といった言葉をお題目にしながら、いかに偏っているか、特に国外の様々な事柄の扱いについて、著しい偏りがあること、そしていつのまにかそうした偏りに気づかなくなっていることに、あらためて気づかされます。

映画での一シーン。内紛(といっても西欧諸国の差し金による)で大虐殺がはじまろうとしている中、白人だけが国外脱出する機会を得たとき、ホテルからバスに乗ろうとするジャーナリストにホテルマンの黒人が傘を差し出します。差し出されたジャーナリストは、苦しげに、「傘なんか差さないでくれ、恥ずかしい」と言いながら足早にバスに向かいます。ただ肌の色が違うだけで自分は生を得られ、死に直面しているひとびとに何もすることができない。力と富を持つ国の国民でありながら、その力も富も、虐殺を防ぐことに使うことなく見捨てていく。
そうした自分自身や、自分が属する国を「恥ずかしい」とする感性。
日本には恥の文化があるはずだけれど、こうした感性は、今ぼくたちのそばには無くなってしまった気がします。

少なくとも、この世界には「知らなければならないこと」があり、そのことを知らないでいる、ということを恥じる気持ちを大切にしたい。
知らないことは恥であり、罪です。
知ること、そして知ったことを伝えることで、できることはまだまだたくさんあるはず。

2006.03.14 - 12:38 AM ||コメント (0)|トラックバック (1)

田中康夫という長野県知事がいたこと

トップダウンの強引な手法、といいますが、そのような手法であれば、小泉首相のやり方のほうがはるかに強引です。抵抗勢力を一掃するほどには強引さが足りなかったということでしょうか。
一部の限られた企業への利益誘導がされず、地元財界はコントロールできるとふんで推薦したのに、コントロールできなかった、ということにみえます。

ガラス張りの知事室に象徴される、徹底した対話と説明の姿勢をみれば、はたして強引という言葉があてはまるのかどうかさえ、疑問です。対話と説明が皆無である小泉手法とはまったく対照的です。
百条委員会でいいがかりのような言動をおこす議会と、いったいどちらが強引であるのか。

新鮮な知事が必要だ、という市民の声をテレビで聞きました。
いったい何が新しく、何が旧態依然としたものなのか。

かつて田中知事が誕生したとき、ある集まりでその喜びを表明したら、笑いがおきて驚いたことがあります。冗談だと思われたのです。多くの人は、ひょっとしたら今でも、田中康夫という人をただのタレントだと思っているのかもしれません。

今回の落選は、なんとなく予測していた結果ではあり、昨今強く感じている、市民における論理の不在の表れのひとつとして、ややあきらめとともにうけとりました。成果や結果ではなく、単純すぎる言葉や「新鮮っぽさ」が支持される社会。
このあとの長野がどのようになるのか、見ものです。

このような終わり方は残念ですが、しかし、かつて当選をうれくし思いながらも、作家としての主張と行動がわずかになってしまうことをさびしく思っていたぼくとしては、この6年間の経験をもとにさらに磨きのかかったペンの力による活躍が再開されることに、期待と希望をいだいてもいます。

康夫ちゃん、ほんとうに、ごくろうさまでした。

2006.08.07 - 07:52 AM ||コメント (0)

27歳右翼(薩州思想舎侠勇会 会長)の行動と、その報道

今週の『SPA!』目次直後のトップ記事『[27歳右翼]が逮捕直前に語った言葉』は秀逸です。4ページの記事ですが、これこそドキュメント。

一か月前になるのですが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に、テポドン発射に対する抗議と書かれた手紙と、人の小指が送りつけられたそうです。
このドキュメントは、その送り主である27歳の男性に逮捕直前に密着して、新聞記事から受ける印象とはかけ離れた事実と、この男性の思いと生き方を浮き彫りにしています。

新聞、警察、朝鮮総連によれば「脅迫」であるとするこの手紙の内容は、この記事に掲載された全文(ほかの報道には一切載っていない)を読むと、むしろ逆に、テポドンが日本への「脅迫ではないでしょうか」と書いていて、それに強く抗議している内容なのです。そのうえ北朝鮮に対して「隣同士の国なのだから、助けたり助けられたりできないでしょうか」と呼びかけ、いわば「お願い」しているのです。
どこをどう読んでも、「脅迫文」ではありません。
少なくともこれだけで脅迫の容疑で逮捕するのは、不当逮捕でしょう。

また、小指を送ったのは、嫌がらせと言ってもいいでしょうが、しかしそれをもって朝鮮総連の言うような「テロ」であるとすることはどう考えてもできません。
朝鮮人に対する差別であるとも言えません。

抗議の方法には、実効性のうえでも賛成できるものではありませんが、様々な方面の思惑によって「脅迫」と貶められ、逮捕され、またゆがめられた報道しかされないということに、不安と怒りを感じるとともに、この薩州思想舎侠勇会の福元善隆氏には同情を禁じ得ません。

それにしても、この、田上順唯氏による取材と記事は、「事件」を冷静に浮き上がらせるとともに、福元氏の人間像に迫っていて、見事です。すばらしい。

2006.10.19 - 08:34 AM ||コメント (0)

テロと抗議との距離

前回のエントリーについて、「なんかオカシイ」と思う点を列挙しておきます。

小指を切るのはテロか

切断した小指を送りつけて、テポドン発射に抗議することは「許しがたいテロ行為」だと総聯中央本部の南昇祐副議長は述べたようです。

総聯中央本部に対する悪質な脅迫事件 南昇祐副議長の談話

今回の事件は、朝鮮のミサイル発射訓練を口実に「制裁」が加えられ、「金融制裁」まで追加発動されるなど、日本当局による敵対的措置が日増しにエスカレートするなかで発生した許しがたい犯罪的脅迫テロ行為と断じざるをえない。

が、はたしてこれはテロなんでしょうか。

かつて、靖国参拝に抗議して、韓国の人が小指切断した、ということがありました。

「日本首相の靖国参拝に抗議」決死隊が指切断

今回の「事件」がテロだとすれば、上記の韓国の人たちの抗議も、テロ行為なんでしょうか。

罪なき人を「テロ容疑者」に仕立てる

朝鮮新報は米国議会のテロ容疑者取り扱い法採択に対して抗議し、

米国がこうした法採択を通じて狙うものが何であるのかは難なく推測できる。それは明らかに、米軍の人権侵害を合法化し、さらに助長して多くの罪なき人を「テロ容疑者」に仕立てて処刑することで国際社会に恐怖の雰囲気をつくり、侵略的な「対テロ戦」を拡大、強化して世界支配の野望を実現することである。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/04/0604j1021-00002.htm

と述べていますが、朝鮮と日本と、もっと仲良くしましょうよと呼びかける一青年を「テロ容疑者」に仕立てようとしていることとの整合性はどうなるのでしょうか。

仲良くすることと、差別・制裁

また、この「談話」の記事の上記文章のあとは、在日朝鮮人に対するいやがらせがおきていることを述べています。そうしたいやがらせ行為が許されないのは当然ですが、この行為はチマチョゴリを切ったり差別的な言葉をなげかけたりということとはまったく一線を画することでしょう。

しかもこの談話は、

総聯は、日本当局が「制裁」措置を直ちに撤回し、朝・日平壌宣言の基本精神に基づき両国の関係改善に真しな姿勢で取り組み、総聯の活動と在日朝鮮人の人権および生活を保障する適切な対策を講じるよう強く要求する。

という文章で締められています。小指問題はどこへ行ってしまったのでしょうか。

「犯罪」とその捜査

また、朝鮮総連が正式に被害届を出したとはどの記事にもありません。「相談を受けた警視庁麹町署は」とあるだけです。被害届を出していないとすれば、そもそも「犯罪」ではないと考えているんじゃないでしょうか。

警察は「封筒などに残された指紋から送り主を福元容疑者と特定」とありますが、本名を手紙に書いているのに、指紋で「特定」するのも変な話です。

2006.10.23 - 08:06 AM ||コメント (0)

火消しの闇の深さ -- 藤田東吾氏の告発の不発

なぜこれほどまでにマスコミに報道がされないのか。

朝日は彼の記者会見での告発をまったく報じていない。
イーホームズ社長の藤田被告に有罪判決 東京地裁

毎日、読売は「まくしたてる」という主観的・否定的な言葉で、信頼感を減ずる効果を付しているが、告発の内容は報じていない。
耐震偽造:「本当に悪いのは国だ」藤田被告まくしたてる[mainichi-msn.co.jp]
イーホームズ藤田社長に懲役1年6月・猶予3年の判決[yomiuri.co.jp]

東京新聞は、18日には「アパ物件にも偽装」というタイトルの記事が掲載されていたのに、今は削除されていて見れない。

唯一、日刊スポーツがアパや「安晋会」の名前を明示した記事を掲載している。
藤田社長爆弾告発、安晋会関連物件も偽装[nikkansports.com]

未見だが、今発売中の週刊現代も記事を掲載しているようだ。
藤田東吾「あの有名マンションも耐震偽装だ」−有罪イーホームズ社長[livedoor.com/magazine]

あれほどまでに大騒ぎした事件で、これほどマスコミがなりを潜めていることに、背筋が寒くなる。選挙直前だったこともあり、首相筋が相当強い圧力をかけたのだと想像するのが自然でしょう。
圧力をかけることも問題ですが、それにも増して、マスコミのこの脆弱さに戦慄します。
国家が情報を隠蔽しようとすればカンタンにできてしまうのだということを示しているのではないでしょうか。

インターネットにアクセスできる人は、藤田氏のメッセージを読むことができるし、個人が取材した映像をYouTubeで見ることもできる。でもアクセスできてもこの問題に気づかない人は少なくないでしょうし、アクセスしない人、できない人は、問題の存在さえまったく知らされない。

いったいどんな国なんだ、ここは。

2006.10.24 - 07:54 AM ||コメント (0)|トラックバック (1)

旗をめぐる悲劇。『父親たちの星条旗』

——あいつらにとって一番大切なものはなんですか。
——あれだ。フラッグだ。スターズ・アンド・ストライプス。

Stars and Stripes。星条旗。

6人の兵士が、星条旗を必死に立てようとしている写真は、その背景や意味をほとんど何も知らなかったぼくでさえ、これまでに幾度も目にしたことのある有名なものでした。
米軍6,821名、日本軍20,129名が戦死した太平洋戦争の激戦地、硫黄島。
そこに立てられた旗をめぐる物語は、壮絶で悲惨な戦闘シーンをフラッシュバックさせながら、旗というものが、実体ではなく仮想のなにものかに力を与え、ひとびとを導くのに強大な力を発揮することを、教えてくれます。

どの国でも同じように、戦争で死んだ者たちを顕彰します。
後に続く者が心おきなく死ぬことができるように。
そのことも、この映画であらためて目の当たりにした、しかしよく考えればあたりまえの、事実でした。
敵も味方も、死んだ者がえらいのであれば、ほんとうにえらい者は誰なのでしょうか。

すこしでも俯瞰して見れば、命を投げ出さなければならないことの無意味さが見えてくるはずですが、俯瞰することを許さない「勢い」が、ごく小さな島のうえでの2万7000もの死を生み出しました。
その無意味さは、米軍、日本軍、それぞれが内在しているものであり、つまりは、戦争そのものの無意味さです。

無意味であるがこそ、そこに意味を見いだす……否、作り出す必要があり、そのための「旗」なのでしょう。


このエントリー冒頭に引用した会話は、大河ドラマ『新選組!』の初回にでてきたものです。
浦賀沖に停泊している黒船を見た島崎勝太、のちの近藤勇が尋ねると、佐久間象山がおもむろに黒船を指さしながら答えるのです。

新選組は、「誠」の旗をそのよりどころとしていました。「誠」の文字は、彼らの出自である道場・試衛館の「試」にも似て、内にも外にも、その存在を鼓舞する役目を負っていました。
であるがゆえに、ドラマの続編の『新選組!!』に使われた、ボロボロになった「誠」の旗は、彼らの悲劇を象徴していて見事でした。

新選組をはじめとする尊皇攘夷派はまた、敵対する薩長に「錦の御旗」を掲げられてしまったことで、自分らが賊軍になってしまったことに驚異と失意を抱いたのでした。


ペリーの黒船に掲げられていた星条旗の実物を、米国はポツダム宣言の際にわざわざ取り寄せたそうです。日本に対し、二度目の負けを思い知らせるための、装置として。


旗というただの布きれがわたしたちに与えてきた物語。
その多くは、よりどころとしての絶大な力に頼る人へのシンパシーと、であるがゆえにこそ無力感さえ抱かせるほどの馬鹿馬鹿しさとが、ないまぜになって、ぼくになんともやるせのない思い、つらい気持ちを抱かせます。


この映画で学んだこと。
旗は、ただの布きれだけれど、ただの布きれではない。そのことにもっと敏感になれ。
同じ泣くなら、泣かせようと作られたドラマでなく、こうした映画で泣きたい。だからこんな映画を見にいくときにはちゃんとハンカチをもっていくこと。

2006.12.04 - 07:40 AM ||コメント (0)|トラックバック (1)

硫黄島と歌舞伎町の距離、60年。

『父親たちの星条旗』を見て、映画館をでると、そこは週末の歌舞伎町の夜。

街には、煌々たる灯りのもとに、若い男女たちがあふれていました。

すれちがう彼らの顔を見ながら、想像の中でヘルメットをかぶせ、薄汚れた軍服を着せ、ゲートルを巻いてみようとしてもなかなかうまくいかない。

60年前には、こんな年齢の男たちが、岩と土ばかりの小さな島に連れていかれて、みんな死んだのだと……歌舞伎町の広場の前にざわめき集う人たちよりもはるかに多い人数が死んだのだと……、そんなふうに結びつけようとしてもうまくできない。

それでも、できるかぎり身近に、リアルに、想像することをやめたくない。
想像することでこそ、いまここにある自由と平和が、かぎりなく愛おしく大切なものであると感じられるから。

2006.12.05 - 08:03 AM ||コメント (0)|トラックバック (1)

崩壊する日本も世界の中

教育基本法、今日にも成立しそうです。嗚呼。
内閣支持率が下がったのを無視して……と思ったんだけど、支持率低下の要因は復党問題なんですね。
まあそれも大問題なんだけど、しかしあんな法律がやすやすと通ってしまうのは、政府や自民党が悪い、とは言ってられないよなあ。
国民(もちろんぼくも含む)がいかに考えてないか、ということであり、考えてない国民が作る、感情と感覚の国家になっていくのでしょう。
そんな国家が長続きするとは思えず、つまりは崩壊へと進んでいくでしょう。

さあ、今日がその大きなスタートです。


それでも……あきらめてはいけない。
わが日本が崩壊するのを止めたい、もっといい日本にしようと思うと虚しいことが多すぎるので、こう考えるようにしようと思います。

「日本を含む世界を、もっといいものにしよう。」

日本に対する絶望感が深まると、日本を逃げ出したくなります。
それもひとつの方法ですが、逃げ出した先にシャングリラがあるわけではありません。そこにもやはり問題はあるでしょうし、自分がそこに行くことで生まれる問題もあるでしょう。
それより、世界という視点から全体を見れば、そこにはいいとこも悪いとこもあり、つまりは日本のことも「問題のひとつ」となります。
そこから逃げるのでなく、かといってそこがすべてだとは考えない。

そうでも考えないとやってらんないじゃないか。
でも、そう考えるのは、けっこういいかもしれません。

2006.12.15 - 08:38 AM ||コメント (1)

ウソにはインチキで——松岡農水相と擬似科学商品

「この商品は信用できない」、とぼくが判断する要注意ワードがいくつかありますが、そのひとつが、水関連商品における「クラスター」です。
クラスターというのは科学用語ですが、しかし水関連商品でこの用語が使われていたら似非科学だと思って間違いがない。つまりインチキです。


松岡利勝農林水産大臣の光熱水費疑惑。「なんとか還元水」と答弁していたものは「ナノクラスターGeルルド水」(オーガニックゲルマニウム株式会社販売)であると報じられています。

クラスターに加えて、「ゲルマニウム」と「ルルド」。

健康を謳う商品においてゲルマニウムの名を冠しているのも要注意です。体によい証拠はなく、むしろ摂取することで中毒になる危険があります。厚生労働省はゲルマニウムを含有させた食品の取り扱いについて注意の通知を出しています。

ルルドは、キリスト教の「ルルドの泉」の話に依拠しているものでしょう。ある少女がマリアの姿を見たというルルドの地にある泉。この泉に治癒効果があるという「伝説」です。

つまりは、要注意ワードだけでできてるような商品名ですね。


松岡農水相がウソの報告をしていた、ということが真相だろうと、だれもが思うわけです。が、百歩譲っても、光熱水費としてミネラルウォーターを計上するのは問題でしょう。確定申告のこの時期に……松岡大臣の言葉を言い訳に妙な申告する人がいるんじゃないですかね。

「今、水道水を飲んでいる人はほとんどいない」という発言もあったし、これには、水道水の安全性、浄化や味に命をかけてきた水道局の方々はどんな思いでしょうか。(水道水は、清涼飲料水であるミネラルウォーターより水質基準が厳しいのです)

国税庁、水道局、厚生労働省はそれぞれ厳重に抗議すべきです。
そして野党やマスコミは、当然のことながら、こうしたウソをつかせる以前に、事実を明らかにして責任を問うてほしい。もちろん、大臣を任命した人の責任も。

ウソにウソを塗り固めるために、擬似科学商品の宣伝の片棒をかつがれたんではたまったものではないですね。そういう意味では文部科学省も抗議すべきかも。

2007.03.14 - 11:19 AM ||コメント (0)

選挙にむけて、ボートマッチ

vote matchで各党と自分のポジションの比較ができる。これはいいですね。
他の人との比較もできる毎日のはおもしろい。

毎日ボートマッチ
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/07saninsen/votematch/

ボートマッチ 投票ぴったん
http://www.votematch.jpn.org/

ヤフー 政治ポジションテスト
http://seiji.yahoo.co.jp/guide/position/index.html

2007.07.12 - 08:06 PM ||コメント (0)

SIGHTとSTUDIO VOICEに元気をもらう

教育基本法改定のショックが大きく、自分はいったいどうするべきなのかとやや途方にくれつつ考えているうちに、重要法案が次々に強行採決、無力感は増すばかりでした。

が、『SIGHT』8月号を読んで、すこし元気がでてきました。
SIGHT (サイト) 2007年 08月号 [雑誌]
SIGHT (サイト) 2007年 08月号

様々な立場の、様々な角度からの考察による、論理的な結論としての非戦・不戦・反戦。
戦争をすべきではないのは、考えてみれば当然の帰結だ、ということが様々な言葉や論理で語られています。
ありがとう、渋谷さん。元気がでました。

また、『STUDIO VOICE』は創刊30年の中で初めてという政治特集。
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 08月号 [雑誌]
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 08月号

こちらも、読み応えがありました。

何か書かなければ、何か動かなければと思いながらも、「考えがまとまらない」という理由でいつまでも書けず、動けずにいたようなところがあります。
ですが、まとまるのを待っていてはどんどんとモノゴトが進んでしまい、結果、考えた意味がないということになりかねない現実があります。信じられないスピードで悪くなっていっていると思えます。
それに、どうせぼくが考えても何かにしっかりまとまるなんてことはないんですね。
あとから考えが変わるかもしれない、ということを恐れていてもしかたないので、今時点でのぼくの知識に基づいて、今時点のぼくの思いを書くしかない。伝えるしかない。
そうするためのエネルギーを、2冊の雑誌からもらった気がします。

2007.07.17 - 08:07 AM ||コメント (0)

とうてい無理です。原発維持できません。

もうほんとに、全然ダメ!
あまりのダメさに卒倒しそうです。

なぜ原発を推進するひとたちは、せめてきちんと原発が安全に持続できるように、念をいれた作りをしないのでしょうか。
原発を推進したいのなら、推進できなくなるような事態を自ら招くことを、どうして避けようとしないのでしょうか。

ともかく、日本では、国も、電力会社も、原発を維持運営していく気も能力もないということが、今またはっきりしたわけですから、
「ごめんなさい、自分たちには分不相応でした」
として、代替手段への移行を真剣にすすめるべきです。
少なくとも日本国民のひとりとして、自分たちには分不相応であると、ぼくは言いましょう。
万一(というのが比喩でなく、むしろ千分の一とか百分の一とかの確率で起きるような気さえするわけですが)大事故になったとき、原発政策を間接的にでも選んでいる国民が自滅するのは「自己責任」だとしても、被害は国境を越えておきてしまうということに対して、現実的な責任感を持つべきでしょう。

以下、もうほんとにダメな理由……いくらでもでてきそうですが、すぐ目についたもののみ。

続きを読む "とうてい無理です。原発維持できません。" »

2007.07.18 - 07:43 AM ||コメント (2)

この選挙。うれしさ、おもしろさ、そして残念さ。

当選してうれしい一番は、やっぱり田中康夫。
党からはたった一人だけど、舞台を国政に移しての康夫ちゃんの活躍、大期待しています。
ただもうすこしほかのグループと共闘するという道はないものか……と。
共闘したかと思ったら、9条なんて実に重大な部分で一致していない相手だったり……まああれは離れていってよかったと思いますけれど、そんなことが未確認だったというのは何で、と思わざるをえません。
有田芳生さんは残念だったけれど、引き続きジャーナリストとして活動を続けつつ、康夫ちゃんを助けてもらいたい。

川田龍平。
つい龍平くんといいたくなる若さだけれど、「骨のある若者」とは彼のような人をこそ言うのだよなあ。開票時にもかなり慎重に冷静に受け答えをしていたのが印象的でした。こちらも大期待です。


丸川珠代は、面白いことになりました。
おっちょこちょいなところは憎めないけれど、これまでそれなりに反小泉な考えをもってきていて、しかもそれを公に語ってきていたのに、阿倍さんから誘われるがままに自民党から立候補するなんてまったく信用ならない。
国政の中心で力を発揮したいという思いはいいとしても、自分の信念を曲げてまで自民党の中に入って、思うように力を発揮できるわけがない、ということをどうして想像できないのか。いったい刺客候補を批判していた目はどこについていたのか。
……と思い、「絶対に入って欲しくない候補」のひとりだったんですが……しかし自ら、阿倍さんの刺客として、議員生活何十年の大御所、保坂三蔵を見事!打ち倒しました。
当選したのに、まあ表情の暗いこと。阿倍・丸川・保坂、だれも喜んでなく、むしろ強いマイナス感情がグルグル渦巻いていることでしょうね。
今朝、丸川さんの古巣であるテレ朝で生インタビューしてましたが、スタジオからの質問がそれは辛辣なこと。後輩からも厳しい率直な質問が出て、しどろもどろでした。

こうした経緯では、彼女の思いとは裏腹に、実際にはたいしたことはできないんじゃないでしょうか。素直に民主から出てればよかったのにね。

ところで丸川珠代の公式サイト、選挙終了の現時点でも更新されておらず、よりにもよって、「期日前投票」をいまだに呼びかけているところがイタイ。


残念だった人。

尾辻かな子さん。彼女の落選は、実に残念。
尾辻さんのようなマイノリティの立場にいる人が国政に参加する意味は、すでにそれなりの力を持っている人以上のものがあるはずです。とても小さな力でも、食い込むことで、蟻の一穴となる。
しかし、そうであるがゆえに、堤防はいまだとても固いということでしょうか。
おそらくは、本質的には同じ変化を望んでいる人の中にも、まだ厳然と存在する感覚的な差別感や忌避感があるのでしょう。それが意識的であれ無意識的であれ、同性愛者であることを公言する人を国政に出すことへのブレーキとなってしまっているのではないでしょうか。

今回、ギリギリの敗退ではなく、民主のこれだけの大勝でも当選ラインは彼女のかなり上にありますから、この社会の許容度はまだまだ小さいと感じざるをえません。
同性愛者であるということは、異性愛者であるということと何も変わりがないとぼくは思うので、同性愛者を「売り」にするのは、たとえば「女性として」といった言葉と同様に、原則的には好きではありません。しかし好きでない理由は、それがそもそも「売り」になるような社会であるべきではないという思いからであって、現状がそのような社会になっていない以上、そこを「売り」にして闘う人がいなければなりません。
しかしまだ闘うステージにも乗れないのか……とがっかり。
それでも、レズビアンであることをポスターに高らかに謳い、選挙を闘ったことは無駄ではないはずです。多くの人の目にふれ、耳に聞こえたそのことが、少しでも堤防をほじくることにはなったでしょう。そう信じたい。


天木直人さん。
「9条」というのは実に明快な立場と主張の表明なのだけれど、それだけでは弱い……弱すぎる、のですね。思っていた以上に票の数はとても限定したものでした。民主党の一部、共産党、社会党、新党日本も9条堅持を謳っているわけで、違いが明確でないし、政党としても名称が9条だと、他に何をするのかしないのかわかりにくく、議院に参加させたいという動きになりにくい。
ご本人のブログでは、9条というひとつの旗の下に協力ができないものかという意味のことを書かれていますが、まさにそのことを、天木さんに言いたい。自分の旗の下でなければだめなんでしょうか。ほかにも9条の旗を振っている人はたくさんいるのだから、集めるのでなく集まるというふうにならないものなのか。天木さんという存在が、もったいない。このままでは、残念すぎます。


自民惨敗、民主躍進はたしかだけれど、民主以外の野党がことごとく惨敗なのは、相当問題です。
民主党も含め、ですが、特に極小なグループで闘おうとした党は(いまや社会党もそのひとつですが)、どのように共闘するかを戦略として考えていかなければ、この先が続かないでしょう。


ともかく、酷い法案を次々に数にまかせて強行採決する、ということにはようやくストップがかかるでしょう。その点はやれやれです。
遅すぎた感もあるけれど、それでも全体的には、「もうこの国はだめだ」というここしばらくの絶望的な思いが、ようやくすこしプラスに転じた、というのが個人的な感想です。

2007.07.31 - 12:38 AM ||コメント (0)

死刑を廃止した100番目の国、その名はルワンダ。

少し前のニュースになるけれど、ルワンダで死刑を廃止する法律が発布されたそうです。

アムネスティが7/27に報じたのですが、Google、Yahooで検索しても、国内ではこのことがどのニュースサイトにもマスコミサイトにも載っていません。

欧州連合がこの死刑廃止に対して歓迎の意を表したというニュースを含め、CNNがニューヨークタイムスが、それにアルジャジーラもが報道しているのに。

といっても世界的にもそんなに大きなニュースにはなっていないようですが、しかし、あの大殺戮を乗り越えようとしている国の行動への無関心は、あの大殺戮のときの世界の無関心と何か共通しているような……いやまあそこまで言うと言い過ぎですね。
大殺戮に無関心だったのに、ましてその国の死刑廃止など無関心に決まっている、というレベルの話です、きっと。ふん。


あれほどの殺戮、いったいどれほど膨大な憎しみを生んでいることでしょうか。
「遺族の思いを考えたら」という論理をあてはめれば、大量死刑があって当然、となるでしょう。
そうはならないところに、今のルワンダの、大きな苦しみと強い誇りを感じます。


いっぽうこの美しい日本では、在任期間あとわずかとなった法務大臣が、何人かの方々を殺してもいいよ!というサインをしたくてウズウズしているという話です。(保坂展人のどこどこ日記:安倍「続投」政権、さらに暴走か

2007.08.07 - 08:48 AM ||コメント (0)

1年で10人のひとに「死になさい」と言った国

3人の方への殺人が行われてしまったようです。

長勢甚遠法務大臣あてに、執行をしないでというお願いメールを出していたのですが……残念です。

あとわずかで内閣改造があり、長勢さんが法務大臣でなくなる可能性があるのですから、この時期にわざわざ執行するのは強い意志のあらわれとみえます。

世界の趨勢にまっこうから反する死刑の執行、だけでなく、さまざまな局面で、この国は「殺してしまってもいい人がいる、殺すべき人がいる、という感覚を国をあげて育てている」のだと思います。
国がめざすその方向に、マスコミもすっかり乗じ、国民の一部、ネットの一部も加わって。

そしてその成果は着々とあがっています。
60年あまり前に国民を騙した。それが大失敗であったことを大いに反省し、「騙される国民」でなく、「自分の意思で考える国民」をしっかり作り、結果として、「ホームレスなんか死んでもいい」としっかり考える子どもが育っています。

死刑は必要だ、と考える人も、それぞれが自分の頭で考えて、そう思っているのですよね。

死んでもいい人がいて、その人は殺してもいいのだと、そう考えているのですよね。

「ひとをころす」ということを肯定する。
そんな国にしたい、のでしょうか。みんな。

2007.08.24 - 08:13 AM ||コメント (0)

『冤罪File』

冤罪File

ごく軽い装丁で気軽に持ち歩けるのに、胸の中には、実にずっしりとしたものが残る一冊です。
私たちが本当はどんな社会に生きているのかということを知りたい人には……いえ、日本の社会と関わりのあるすべての人に、必読だと思えます。
わずか380円。

自分も無実の罪でひょっとしたら死刑にまでなるかもしれない。
「いくらなんでもそんなことはあるはずがない」
というごく普通の感覚を、ごく簡単に打ち破られます。
打ち破ってくれるのは、この国の警察、そして決定的なのは、裁判所。

この雑誌の魅力は、様々な事件についての記事の内容はもちろんですが、編集の姿勢にあります。
警察や司法にある問題をえぐり出そうとする記事は、少ないながらもいくつかの媒体に載ることはありますが、そうした記事の多くは「国家権力を糾弾する!」といった主張につながりがちです。

でも、そうした見方は、本質を見誤る恐れがある、という考えが、この雑誌を貫いています。
事実をひとつひとつきちんと見ていく、というジャーナリズムの基本を忠実に守ることで、問題の恐ろしさが見事に浮き彫りになっています。

先日テレビ放映のあった映画『それでもボクはやってない』の周防政行監督のインタビューが巻頭。

記事のタイトルは、サラリーマン向け週刊誌や、『噂の真相』や、サヨク雑誌にありがちな「!」マークの多いつけかたをしているのですが、中身の印象は、それらとはずいぶん違います。
誌名、記事のタイトルが、黒と朱の太いゴシック体だけで構成された表紙は、もう少しなにか工夫のほしいところだけれど、そんなことにお金をかけたところで買う層が増えるわけでもなさそうだから、しょうがないかな。

次号は5月発売だそうです。この雑誌が頻繁に出るほど冤罪が多いことを望むわけではありませんが、しかし実に次も楽しみです。

2008.03.08 - 10:32 AM ||コメント (0)