日記・コラム・つぶやき  (公開順)

有限の未来

はてしなく無限へのあこがれを抱きながら
私が持っているのは有限の未来だ
うつろいゆく時の流れの中から
のがれえるてだては何も持たない

過去も 未来も 私は知らない
私が自由にできるただひとつの時は
“今”でしかない
有限の時間のなかの無限の“今”を
ひとつ ひとつ ひらめかせてゆくのが私の役目だ

花も 虹も 人も
やがて消えてゆくから 美しいのだろう
消えさる時のくる前に
私は いくつの輝きを生みだすことができるだろうか

1981.02.22 - 11:36 AM |

ハーブ

3dush0008.jpg過日旅行した際に立ち寄ったハーブ園で、ハーブを買った。
ハーブには詳しくないので、特徴などを覚えられるように、とりあえず知った名前のハーブにした。
イタリアンパセリ、ピンクセージ、ローズマリー、タイム。「スカポロフェア」セットである。
時計回りにこの順になるように鉢に寄せ植えしたので、これなんだっけ、となると歌を歌って思い出すわけ。

2003.12.03 - 11:49 AM |

日暮れの代々木公園

3e4sh0017.jpg原宿で、次の打ち合わせの前にどこかでコーヒー飲みながらパソコン使いたいと思ったのだが、地下鉄の出口から上がってゆくときに、ケヤキの黒々とした枝振りが目に入り、コーヒーを持って代々木公園に行くことを思いつく。

ドトールで買って公園に行くと演劇や楽器の練習をしている学生などがちらほら。
落ち葉のじゅうたんが敷き詰められた秋の代々木公園は、やや赤みを帯びた陽の光に木々が長い影を落として、美しい。
木の机一体型ベンチでしばらくパソコンを使っていたが一時間ぐらいで寒くなり、退散。

2003.12.10 - 03:53 PM |

コーヒー

コーヒーがないと生きていけない。というのはおおげさだけど、気分的にはそれに近く、心の安定剤になっているところがある。
仕事をしているときには、コーヒーがないとどうも精神が集中しない。

家ではコーヒーメーカー(PHILIPS製)のを使っているが、コーヒーメーカーではやはり味は今ひとつ。ちゃんと手で淹れないとおいしいものにはならない。
かつてぼくに本当のコーヒーのおいしさを教えてくれたのは、一軒のコーヒー専門店だった。だがこの店はなくなってしまった。その店のコーヒーを飲むためだけに、ぼくはよく電車に乗って30分ほどかけて出かけたものだった。

そこの店のコーヒーを飲むまで、ぼくはコーヒーには砂糖を1杯は入れていた。だが本当においしいコーヒーには砂糖は必要ないんだということを知り、ブラックで飲むことを覚えて、それに慣れてしまったので、いまはどこでも、よほどまずい場合を除いて、ブラックで飲んでいる。

残念なことに、それほどおいしいコーヒーを飲めるところを、ほかにまだ見つけていない。
たとえ東京になくても、ほんとうにおいしいコーヒーがあれば、ぼくはそのために旅をするだろう。

2004.01.14 - 11:17 AM |

新宿の異臭騒ぎ

DVC00008.JPG新宿で飲んでいたら異臭騒ぎに遭遇。
救急車が7台ほど靖国通りに止まっていて何事かと思ったが、人が多くて何があったのかさっぱりわからず。テレビも来ていた。帰ってからサイトで調べたら異臭騒ぎだったよう。
しかし殺虫剤なのでよかったが、サリン事件のようなことであったらヤジウマ根性出して近寄るべきじゃなかったのだと今頃反省。

Yahoo!ニュース:新宿のビルで異臭騒ぎ 殺虫剤で10人が病院に

2004.01.29 - 11:45 PM |

庭園美術館「アール・デコ様式」展覧会

DVC00006仕事の合間に庭園美術館へ。平日の五時過ぎとなるとそれほど人も多くなく、80年前のパリ(アール・デコ博覧会)や、70年前の朝香宮邸建設に思いをはせながら、ゆっくりみることができた。
あの建物はアール・デコと日本の意匠が調和して徹底的に細部にまで凝って作られているから、いつもいくたびに胸がときめくような感覚を覚える。
初めて公開された三階の「ウィンター・ガーデン」という名の見晴らしのよい部屋もすてき。温室のように使っていたらしいのだけど、植物がたくさんあったときのあの部屋は、すばらしかっただろうな。

2004.01.30 - 07:09 PM |

虚脱

思いっきり力が抜けて虚しくなり、厭世的になること。
ぼくの場合、論理がとおらないことが強行され、しかもそれに対してぼくが無力であると感じると、胸の奥の下の方に、イヤな感じの重いものがわき出てきて、もうほんとうにがっくりくる。
そういうことが近ごろ多すぎて、参ります。

・イラク派兵。ことに小泉が憲法前文を根拠にしたときにはもうほんとに……

・海外生産の邦楽CDの国内への還流禁止という暴挙。
著作権を改訂ということだが、自分とこで海外に売ったものが戻ってくるだけなんだから著作権の問題じゃねえだろう。海賊版じゃないんだから。
海外では安く売って、自国民には同じモノを高く買わせると。
CCCDに続き、CDを買わない理由を次々とぼくに作ってくれるのは、買うなということですかね? 音楽業界は自殺したいらしい。

2004.02.20 - 04:53 PM |

STIKFAS

stikfas.jpg池袋サンシャインシティに行ったときに、トイザらスに立ち寄ったのだけれど(本屋、文房具屋、おもちゃ屋は、時間があれば通過することができないタチ)、そこで見つけた、関節がかなり自由に動くSTIKFASという人形。何種類かあったのだけれど、これも関節が自由に動く、ロデムのような黒いヒョウ(?)がついているのに惹かれてこれに。
自分で組み立てるのだけれど、小さく(身長8cmほど)、関節をはめるのがわりと固いのでちょっと苦労した。早く作り上げたくてバリをとらずに作ってしまったので、次に買ったらちゃんときれいに作ろう。
よくできていて、デザインもいいです。お気に入り。
けっこういろんな種類があるようです。

オリジナルサイト http://www.stikfas.com/

トミーのSTIKFASサイト http://www.tomy.co.jp/stikfas/

2004.03.06 - 05:17 PM ||トラックバック (1)

染井の桜

somei_s.jpgでがけに寄り道をして、染井の墓地に桜を見に。
ソメイヨシノ発祥の地という由緒正しい場所にありながら、近所のひとがぽつぽつと来ているだけで、もちろん酒臭さや騒音カラオケとは無縁の、静かな花見が楽しめる、とっておきの場所。

満開の桜を見上げていると、ふう、と、胸がいっぱいになる。

かつて生きたたくさんのひとびとが眠る古びた墓石や卒塔婆の上を、堂々とした枝振りの先々につくたくさんの淡いピンクの色が覆っているさまは、生と死が繰り返す営みを象徴しているような気がしてくる。

何年か前、この墓地で、満開の花を見上げながら、
「今年も咲いてくれてありがとう」
とうれしそうに樹に話しかけていた老婦人がいた。
ぼくも、ああほんとうにそうだなあと、その老婦人に声をかけたかったけれど、
なぜだか目頭があつくなってしまってかけられなかった。
あの方は、今年も見に来ておられるだろうか。

2004.04.01 - 04:25 PM |

母の仕事

かつて母が携わった本が国会図書館にあることまでは、検索して、わかっていました。
でも手に入れたくて、ずいぶん探したけれど見つからず、それで「日本の古本屋」(http://www.kosho.jp/)の「探求書コーナー」とヤフオクのアラートに設定していました。

関係のない本もキーワードにひっかかったりして、なかなか出てこなかったのだけれど、ついにようやく、ヤフオクで見つかった。

同業者であった父と結婚し、独立した父を助ける形で勤めを辞めた母は、自分が東京に出てきてからの仕事のことをぼくによく話してくれました。
ぼくが受けた影響は、もちろん父からのものも多大だけれど、こと編集やデザインということに惹きつけられるようになった源泉は、母から伝えられたものにあるようです。
子ども心に、その話しぶりから、自らの仕事に対する強い誇りを感じ、仕事への興味と態度を学んだような気がします。

奥付をみると、1954年発行。ちょうど、50年前。
これを持って行って、終戦から立ち直りはじめた日本での、今のぼくよりもずっと若い母の話を、そして50年前の編集や印刷や写真の話を、またひとしきり聞いてこよう。

2004.04.08 - 07:46 AM |

ニーチェア

もうかれこれ10数年使ってきたニーチェアのキャンバスシートが破れてしまった。
張り替えはできないものかとサイトで調べてみたら、シートだけの販売をしていることを知って安心。
……したのもつかの間、いざ注文しようとしたら、ぼくが使っていた「黒」のシートがない……。
オットマンも持っていて、こちらは問題ないので、黒のシートはどうなったのかを、徳島にある制作元のニーファニチアに質問メールを出してみました。丁寧な返事をいただきましたが

申し訳ありませんが黒のシートは最近廃盤になりました。
在庫もなくなってしまいました。
現在シートは7色になっています。
とのこと。ううん残念。でも直販だと販売店よりも価格が安いことがわかり、黒の再販を望むことを添えて、別の色をさっそくメールで注文。

たしかニーファニチアは、この椅子をデザインした新居 猛氏のご実家です。価格もだけれど、制作元と直接こうしてやりとりできるのは、なんだかうれしい。

ニーファニチア
http://www.tcn.ne.jp/〜nshin/

ニーチェアX 詳細
家具通販 丸正家具サイト

2004.04.30 - 08:19 PM ||トラックバック (1)

ドトールコーヒーへの要望

スターバックスやタリーズの店の雰囲気がぼくは好きだけれど、コーヒーの味はドトールがいい。
なのでよく利用するが、いつも気になっていたことがあり、思い立ってドトールのページから要望を出しておいた。

いつも御社の各店を愛用させてもらっています。

要望が二点あります。

1.
注文を取るときに
「お召し上がりですか?」
と聞かれます。

「召し上がる」とは「食べる、飲む」の敬語です。
「こちらでお召し上がりですか」の「こちらで」を省略しているものと思われますが、重要なのは「こちら」か「持ち帰り」かでしょう。
「召し上がるか」と聞かれても「召し上がるに決まってる」と心の中でいつも思っています。
御社のマニュアルに「こちらで」を省略する尋ね方を記載しているのであればそれは間違いですし、そうでないのであれば店員さんへの指導をしていただきたいと思います。


2.
禁煙スペースについて。
最近少しずつスペースが増えているように感じますが、しかし御社の店はどこも喫煙スペースと禁煙スペースに区切りがないので、禁煙スペースにいてもほとんど意味がありません。
コーヒーの味は、外資系の店とは比べられないほどおいしいと思っておりますが、どの店に行っても、禁煙スペースであっても煙く、服にも匂いがついてしまうので、それで敬遠することが多々あります。
御社の店舗は狭いところも多いので、スターバックスのように全面禁煙が望まれますが、せめてタリーズのように、喫煙スペースは完全に別室として、禁煙スペースがその名のとおり煙のない場所になるようにしていただきたいと思います。

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2004.08.18 - 02:29 PM |

ミムラ チヒロさんからのメール

先週、たてつづけに来ていたミムラ チヒロさんからのメールがまた来ました。

最初のメールで、いちおう疑って、ヘッダの確認はしたんですが
X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.50.41332400
とあったので半信半疑でありながら返信してしまったんですねぇ。
もうちょっと警戒すべきだったか。

ぼくが書いた返事の内容は、「送った覚えはないけど、どんなメールでしたか」というものだったので、相手からの二通めは、まさにそれの返信のようにみえました。
それでも一応再度ヘッダみたらこれにはX-Mailerがなく、それでメルアドで検索したら、やっぱりヒット。
まったく同じ文面のスパムがいろんな人に行ってました。
しかし、こちらが返事しそうな内容をうまく次につなげているんでちょっとだけ感心。
しかも返事をしなくても次がどんどんくるし、スパムなのになかなかURLを入れたメールが来ないから、次がちょっと楽しみになったりして。でも6通めにURL入ってきました。
それで終わるかと思ったら、そのあとも何通かつづき、今日また一週間ぶりにメールが入ってきました。
いつまで来ることやら……。

しかしスパムのわりには手間かけてて、けっこう考えられた内容でおもしろいのと、ほかの人にも見てもらえばスパム対策にもなるということで、サイトに載せておく意味は、あるでしょうかね。

ということで、以下に載せておきます。

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2004.10.19 - 06:25 PM |

新品じゃなきゃイヤ、という白石加奈。spam。

kitty_kananこと白石加奈さんから問い合わせメール。
危うく返信するところだった。

ごく最近出され始めたものらしく、Googleにはひっかからず、でもyahooメールだったのでyahooで検索してみたら2件のblogが取り上げてました。
まったく、油断も隙もない。
「間違いではないですか?」と返信する親切はできない殺伐とした世の中ってこった。
うっかり返信したりしないように、気をつけましょう。
以下がメール。

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2004.12.21 - 12:30 PM ||コメント (3)

泣き笑いの一年

2004年は、実によく泣き、よく笑った一年でした。
泣いたときには、強くそのことを書いておきたくなるので、そんな話を何度かここにも書きましたが、腹を抱えて苦しくなるほど笑ったこともまた、幾度もありました。

泣くことも、笑うことも、精神のバランスをとるツールとしてこれほどすぐれているものはない、ということを実感した一年でもありました。

様々なたくさんの作品が、ぼくを泣かし、笑わせてくれました。
そのような作品を作り、伝えてくれた作家、監督、芸人、ミュージシャン、脚本家、詩人、俳優、投稿者の方々に、心から感謝の念を送ります。またそうした作品に出会うきっかけをくれたり、いっしょに泣き笑いをしてくれた友人たちにも、ありがとう。

現実社会の出来事に対しては、残念ながら笑わせられることはほとんどなく、泣かされることばかりでした。
その涙の源となった現実が変化し、喜びになったものもありますが、いまだに、泣くしかないままの現実も存在します。

2005年は、できうるなら仮想の世界での泣き笑いと、現実の世界の笑いのみに満ちた年になってほしいものです。

2004.12.31 - 10:44 PM |

朝のふたり

早朝の地下鉄。
がらがらの車内で、ぼくの前に座った、たぶん二十歳ぐらいの女の子ふたり。
ひとりは髪が長く、フェミニンな服装。もうひとりは髪が短く、中性的な格好。
髪の長い子が熱心に話しかけていて、髪の短い子はうんうんとうなづいて聞いています。
ふたりが醸し出している雰囲気がとてもやわらかく、いい感じなので、思わずその風景を眺めていました。
たぶん、恋人同士でしょう。
ふたりの間では、指を組んで手を結んでいて、左手の同じ薬指に、同じ指輪。短髪の子がときどきもうひとりの子の髪をやさしくなでてあげたり。
iPodを聞いていたので会話はまったく聞こえていなかったのですが、音楽を聴きながらだったせいもあり、とてもあたたかな映画の一シーンを見ているようでした。
異性の恋人同士にも、同性の友だち同士にもつくりえない、ふうわりとした空気。
あまりずっと見ていたからか、電車を降りるときに、ちょっと不審そうなまなざしを髪の長い方の子に投げかけられてしまったのだけれど、ごめんね、好奇心で見ていたのではなく、ほんとうに、すてきな二人だと思って見ていたんです。

2005.03.29 - 03:46 AM ||コメント (1)

失われてしまった思い

いつもぼくが抱く、情報の伝わり方や報道のされかた、といったものへの興味ではない、何か違うもののために、ぼくはここ数日のテレビ報道に心が奪われています。
なぜなのか、自分でもよくわからない。
ただ、あの大惨事に居合わせてしまったひとり一人の心の中に訪れるような気持ちで、報じられる名前や、立場や、その日の行動や、残した言葉から、そのとき、何を見、何を感じ、何を思ったのか……と、想像を繰り返しています。

仕事に行く途中、暖かな日差しの中、昼間少しすいた電車に乗って、あちこちで人が話をしていたり、携帯でメールをしたり、いねむりをしたり、読書をしたりする人たちの風景を見ていても、あの電車もまたこのようなありきたりの日常の中にいたはずだという思いにとらわれてしまいます。

あのとき。
車体が大きく傾き、折り重なって堕ちてくる他人の肩越しに、天を向いてしまっている車窓から一瞬の青い空を見たのが最期となった人がいたかもしれない。
つないでいた手が、ものすごい力で引き離されて、別々の場所で逝ってしまった恋人たちがいたかもしれない。
そして……自らのいのちばかりか、百人を越す人のいのちを奪うことになるなどきっと思いもせずに、ただ何かに追い立てられて必死になっていたのかもしれない、まだ若く経験の浅かった運転士は、100キロのスピードで猛然と迫りくるマンションの壁を目の前にした最期の瞬間、いったい何を思ったのでしょうか……。

2005.04.28 - 10:55 PM |

信頼

基本的にぼくはオプティミストなので、あらゆることは、なるようになるし、なんとかなる、という気持ちでいます。
ですが、今回の選挙の結果と、それに対する大勢の評価は、そのようなぼくをも打ちのめすのに十分な、相当な力がありました。
親しい友人と一致したのですが(こんなことで一致したくはなかったけど)、岡田民主党が掲げた「日本を、あきらめない」というコピーが、あの結果を受けて、むしろ「あきらめるしかないのか……」という思いを抱かせてしまいました。

今回、自民党を応援したにしろ、民主党を応援したにしろ、それ以外の政党を応援したにしろ、あるいは棄権したり白票を投じたにしろ、与党に3分の2以上の議席を与えたことの責任を、選挙権を持つわれわれは負わなければならない、と思います。
であるがゆえに、その責任の重さを、どれほどのひとが、どれほど感じているだろうか、ということを思うとき、率直に言って、絶望感を抱かざるを得ないのです。

ぼくはまだかろうじて、この日本という国に誇りを、強い誇りを抱いていますが、そのようにして抱けるのはいつまでのことだろうか、と思ってしまうのです。


ですが。

ぼくと同世代の人たちが、同様の強い危機感を抱いていることを知ったり、
ぼくよりも若い世代の人たちが、現実にもまれながらも、希望を抱いて活動していたりするのを見聞きするにつけ、
絶望していてはいけない、という勇気を与えられます。

それぞれの人が抱く考え方や、行動や、思いに対して、
信頼できる、と感じること。

ぼくの考えや、行動や、思いに対して、
信頼してくれている、と感じること。

それこそが、
それのみが、
希望です。


さいわいにして、そうした「信頼」をまだ持ちあえることができるから、
なにがしかのことをなし、
なにがしかのことをつたえたい、
というモチベーションを抱くことができます。


信頼できるひとたち、
信頼してくれるひとたち、
みんなに、ほんとうに、感謝です。

2005.09.22 - 01:08 AM |

矢野顕子を聴いた夜

もう20年以上も聞き続けてきたのだけれど、今回、初めて彼女の音楽をまのあたりにしました。
癒されるというのとも、心がうち震えるというのともちょっと違う、矢野さんの音楽にしか感じない何かに共鳴して、ぼくは何度か目頭を熱くしていました。

胸の奥の、鼓動する心臓の中に、両手がすっとさし入れられて、中にあるまあるい心がふたつの手のひらに包まれ、やさしくなでられているような、そんな感覚。

聞きながら浮かんでくるのは、太陽系の巨大な惑星たちが、重なるように宙に浮かんでいる映像。なんにんかの人たちが手をつなぎあってにこにこしている映像。
人や、こころや、なにものかが、「つながっている」あたたかさ。

帰りにパートナーが誘ってくれて立ち寄ったラウンジは、うれしいことに音楽が流れておらず、ポツポツとふたりで語りながら、ゆったりと余韻にひたることができました。
いい夜です。

2006.02.21 - 12:48 AM |

ぼくの眼を釘付けにしていた君が、昇天。

今日、CRTディスプレイが表示しなくなった。
ナナオのFlexScan 52F。95年に買ったものなので11年使ってきました。

机の上もすっきりするし、そろそろ液晶を……と思い続けて何年たつのか。やっと買い換えだ!

……と思いながら、どこか愛着がわいている自分がいます。
考えてみると、この間、コンピュータは何台も、ほかの周辺機器もことごとくかわってきているけれど、こいつだけはそのままずっとかわらず、そしてほとんど毎日使ってきていました。
多少お金がかかっても修理ができるなら……と問い合わせてみたのですが、「もうしわけないのですが、たいへん古い機種なので部品がもうなく、修理をお受けできません」。
コンピュータ機器の10年は「たいへん古い」ことになってしまうのだなあ。

しかたない。残念無念。
いつもぼくの視線を一身に浴びながら、ほんとによく働いてくれました。
ごくろうさま、FlexScan。

2006.02.25 - 04:18 PM ||コメント (2)

たったひとつの星の上の人として

スルツカヤ選手が転んだとき、思わずぼくも「やった!」と声をあげてしまいました。しかし次の瞬間、そう叫んだ自分に対して、なんだか嫌な気分でした。
他人の失敗を喜ぶということは、あるいは誰にでもあることなのかもしれませんが、しかしそのように感じること、ましてやそう感じたことを公に表明することは、恥ずかしいことだ、という感覚を持っていたいと思います。

と同時に、同じ国籍をもっていることを理由に応援している側面があることを、自分の小さな叫びは物語っていたように思います。
荒川静香さんの落ち着いた雰囲気、ちょっと目尻の上がり気味でちょっぴりエラの張った顔かたち、自信に満ちた滑り。そうしたものが好きなので、彼女を特に一番応援していました。
ですが、だからこそ、同じ国の人だから応援するのではなくて、「彼女だから」応援したい、そういうふうな応援ができるようにならないものだろうか、と願います。

安藤美樹さんの、いつも見せていた美しくもかわいらしい表情がまったく影をひそめ、緊張しきっているのが、画面をとおしても痛々しいほどつたわってきていました。彼女の表情や演技は、オリンピックという場がどれほど強いプレッシャーを与えるものなのかということを、教えてくれました。
それによってこそ、荒川さんや村主さんのみならず、スルツカヤさんやコーエンさんもまた、そうしたプレッシャーに耐えながらあれほどまでに勝ち上がったことのすごさをまた知ることができたのでした。
断片的に伝え聞く、スルツカヤさんの人生に対する態度には、教えられることが多くありそうです。

せめてオリンピックという場においてだけでも、地球人の中で勝ち進んできた、ひとりひとりの戦いとして、国境というものを意識せずに見ていられたらいいのに、と想像します。
夢想家だと言われるかもしれないけど、でもぼくはひとりじゃない。そう信じたい。

2006.03.08 - 12:46 AM |

硫黄島のゴルフコース

今の硫黄島は自衛隊の基地になっているんですね。
Yahoo Mapだとあまりよく見えませんが、GoogleMapではかなり精細に見えます
ゴルフコースとか、テニスコートがあるんですね。

2006.12.05 - 01:35 PM |

教師になった友人たちへ

友人には、教師になった人がたくさんいます。
彼らが今、何を考え、どんなふうに生きているか、とても心配しています。

ぼくたちはいつも考えていなければいけない……はずなのですけれど、今この国で教師をしながらきちんと考え続けるということは、ものすごくストレスフルなことだと推察します。

硫黄島の栗林中将の生き方を見たから、ますますそう思うのですが、しっかりした考えがあり、それを貫きたいと思う人には、その考えを殺さずに活かす道をさがしてほしいと、切に願います。
「今いるこの場で最大の努力をする」というのはとても大切ですが、ほかにもっと道があるかもしれません。

みんな、元気にしていますか。
がんばって。でも、がんばる方法は、たくさんあるからね。

2006.12.15 - 09:07 AM |

風のような自由のために

「風のように自由」という言葉があります。

自由であることが、自分にとってとてもとても大切であると思うがゆえに、そのための礎を守ったり、自分と同様に大切であるはずの他人の自由もまた守るために、互いの自由を重んじるにはどうしたらよいのか、考え、話し合いをし、決まりごとをつくることもまたとても大切なことです。

自分のいるいま、ここに吹く風が、どんな状態なのか、それを見聞きし考える場所として、そんな思いを「風の色を見に」というタイトルに込めています。

息苦しくなっていくばかりのような気がしますが、しかし小さくても風穴をあけ、風通しをよくすることを、あきらめたくはありません。

歴史というものの一番端っこにいるものとして、歴史が培ってきたものがただ「人間は変わらない」という証明ばかりでなく、だからこそ様々な思想としくみをつくりあげてきたのだということに、そのような人類の末裔であるということに、誇りを持ちたいと思うのです。

2007.01.02 - 11:04 AM |

疎ましさもまた

コンピュータやネットワークや、そのほか様々なテクノロジーには強い興味を持っていて、それが社会をどう変えていくか、変えていくべきかについて、いつも考えています。
けれど、心のどこかでは、そうした高度なテクノロジーなどなければいいのに、と思っているようなところがあります。

子どもの頃から今にいたるまで、繰り返し繰り返し夢想しているシーンがいくつかあります。
無人島にずっとひとりでいることになる、という状況。
江戸時代にタイムスリップする、という状況。
そこに予想される困難さや孤独を恐れつつ、しかしどこかで、そのようなことを考えるのが実に楽しいのです。特に深く考えるわけではなく、時間をもてあましているようなときに気づくとぼんやりそんな状況にいる自分を想像していたりします。

そしてまた、東京の街中を歩いているときによく想像するのは、そこから人間がまったくいなくなってしまう、という世界です。当然自分もそこにはいないのですが、人がいなくなった都心のビル街で、アスファルトの道路がひびわれてその間から草が生えだしたり、コンクリートの建物が蔦に覆われていったり、そんな風景を想像して、ぼくはとても清々しい気持ちになり、うれしささえ感じるのです。

ぼくはひょっとすると、テクノロジーそのものもさることながら、それを生み出した人間という存在そのものに対して、強い疎ましさを感じているのかもしれません。

しかしまた……そう感じることができるのは、ぼく自身が、感じるという能力を持つ人間という存在だから、であるのですよね。
感じること、考えることの楽しさ。
感じられること、考えられることのよろこび。

いくら疎ましくても、自分はこの宇宙を形作っている物質の一部であり、その認識は気が遠くなるほどの悠久の時間の中での、果てしない偶然の繰り返しの結果として生まれ、いまこの脳の中にあるのであり。

2007.01.30 - 08:48 AM ||コメント (1)

池田晶子さんの思考が終わってしまった

もう考えを聞くことができない。

2月23日に亡くなっていたという。今日になって報道された、哲学者池田晶子さんの死。

まだ数冊しか読んだことがないのですが、それは読むのを「とっておき」していたからでした。
ぼくがまだ考えたことのないテーマについて、彼女の書いたものを読んでしまうのはもったいなく、じっくり考えてから彼女に相対したい、と思っていたのです。

真摯に、そして実に楽しげに徹底して考えていた人が、ぼくと変わらない年齢で、摂理によって思考の停止を余儀なくされてしまった。

自分が考えられなくなる、という事実に——死に、どのように死に向きあったのか……その思考は言葉となって残されたのでしょうか。
できることならそれを知りたいと願います。

もっともっと考え続け、その到達点をぼくらに示し続けてほしかった人です。

2007.03.03 - 05:04 PM |

風のふく静かな夜に

台風は遠い海上をすぎていきました。
空には筋のような雲ばかりがきれいにそろって、気持ちのよい風が吹いています。
風の中には、草木のにおいがわずかに感じられるような気がします。
たくさんの雨を喜んだあとの、植物の息吹でしょうか。
静かでゆたかな、気持ちのよい夜です。

2007.07.16 - 01:41 AM |

美味でありました、森達也の「朝ごはん」。

朝の出勤時にiPodで聞くのは、音楽よりも、起き抜けの脳を目覚めさせる対話がよいです。

それで聞いていたのが、森達也さんの「森の朝ごはん」という番組でした。
TOKYO FMで実際に放送されていたものをPodcastしてくれていたのですが、それが先日最終回を迎えてしまいました。ああ、大切な楽しみがひとつ減ってしまった。
春に、宮台真司さんの「週刊ミヤダイ」(これはTBS) が終わってしまってがっかりしていたのにひきつづき……。


森さんは、ぼくが今とても信頼している人の一人です。

様々な問題に対して「複数の視点で観る」ことの大切さを様々な媒体を通して伝えてくれます。
この「森の朝ごはん」もそうした彼の一貫した姿勢が、実に多彩なゲストとの対話にあらわれています。
テレビ等でよく見聞きする人の、まったく知らなかった側面、しかし実はその人にとってはとても重要な根幹にかかわる側面を、見せて……いや聞かせてくれます。
まだよく知らなかった人の活動を紹介しながら、そこにある考えを、巧みに引き出してくれます。
ほんとうにいろんな人がいて、いろんな視点があり、しかもそのひとつひとつの視点がとても大切なものであることを、たいていとても端的な質問をすることによって聞き出していくうまさは森さんならではの魅力です。
対談本もいくつも出ていますが、あの落ち着いた語り口での、ゲストとの会話が音声で聞けるのは……しかも放送時間を気にしたり、録音に気をつかうことなく簡単にPodcastでiPodに移して聞けるのは、とてもよかったんですけれど、終わってしまって本当にざんねん。

でもまだ最初からの放送が全部サイトには残っています。Podcastで聞けます。
http://reco.jfn.co.jp/podcasts/tokyo/mori/

最終回(神田香織さんとのvol.4)は、サイトにはまだのっていないようですが、iTunesでは聞くことができます。

個人的には、大ファンである詩人のアーサー・ビナードさんの肉声が聞けたのが、うれしかったな。


たくさんの視点、たくさんの知らなかったコトを伝えてくれた森さんと、この放送と、それをPodcastしてくれたTOKYO FMに大感謝。(Podcastの中にはTOKYO FMがやっている、ということが全然出てこなかったけど、最後にジングルぐらいいれてもよかったのに。もったいない)

そして魅力的な活動を伝え、興味深い視点を与えてくれたゲストの方々……
DJ KRUSH, K DUB SHINE, Leyona, あがた森魚, アーサー・ビナード, 井筒和幸, 糸井重里, 岩井志麻子, インリン・オブ・ジョイトイ, 宇梶剛士, 大槻ケンヂ, 上川あや, 香山リカ, 神田香織, 桐野夏生, 倉田真由美, 是枝裕和, 斎藤貴男, 佐野史郎, 沢 知恵, サンディー, しまおまほ, 清水哲男, 清水ミチコ, 下地勇, 須藤元気, 曽我部恵一, たかのてるこ, 寺尾紗穂, トニー・ラズロ, 中西準子, 中村獅童, 蜷川実花, 原田芳宏, 福井江太郎, 枡野浩一, 南こうせつ, 宮沢章夫, 森巣博, 箭内道彦, 安齋肇, 山本寛斎, ルー大柴, 蓮舫, 若松孝二
のみなさんにも、ありがとう。


2007.10.16 - 08:33 AM |

2008年希望の旅

ちょうど戦後の経済の成長とともに、ぼくも成長してきました。
たとえば月面着陸や大阪万博は、ぼくにとっては単なるイベントではでなく、それらが関係するものごとから直接的間接的に影響を受け、そこから得た感覚や意識が、精神の中に深く根ざしています。
たとえばそれは、未来は明るい、というメッセージでした。

ぼくが小学校からずっと受けてきた教育、そしてたぶん、本やテレビなどのメディア、そしてさまざまな大人たちから学んできた、この日本という国のなりたち、社会が寄ってたってきたものが、ここ数年でばらばらと壊れ始めている気がします。
そのことを思い、その予兆ではないかという事象をみるにつけ、ぼくは自分の足下が崩れていくような不安や恐れを感じます。
民主主義、平和主義、基本的人権の尊重。法、科学、倫理。
こうしたツールは、人類が過去からずっと積み上げてきたものと、ツール相互の補完によって、人間の愚かさを克服し、すべてのひとの幸福を希求して、明るい未来を目指すためのものだと思っていました。
いえ、実際、そうであるはずです。

しかしこの社会では、これらのツールが本来持つ精神に立ち返ることがなく、またツールの組み合わせに必須の論理性も放棄してしまっています。
目先の一部の利益のために場当たり的に対処したり、感情を操作することで嫌悪や憎悪を育て、人をひどく単純に区別して分断したり、無視や嘲笑や隠蔽やごまかしや忘却によって正義が失われたり。

そしてこれらのことは、一部の者によってのみ行われているのではなく、多くのひとが、おそらくは自分でも気付かずに荷担していること……それがなによりも絶望的な気分にさせられます。

「KY(空気読めない)」が揶揄する言葉になるのは、「空気」が重要だとされるからです。
しかしほんとうにいまこの社会に必要なのは空気を読むことではなく、実体のあるものを読むこと。
事実を読むこと、状況を読むこと、そしてひとの情を読むこと。
「KY」であることより、「JY」であることこそ恥ずべきです。

足からくずおれそうな思いに幾度も出会わなくてはならない今、それでも「J」を読むことを続けて、少しでも明るい未来にすることはできるはずです。

現実に絶望しながらも未来を信じ、事実と状況と情に基づいて、常に明るく軽やかに一貫した行動をし続ける、わが尊敬すべき人たち……落合恵子さん、野田知佑さん、田中康夫さん、森達也さん、アーサー・ビナードさん……あなたたちに励まされながら、ぼくも少しでも明るい未来にする手助けをしましょう。


……昨年、ぼくの兄弟や、親しい友人に、新しい命が生まれました。
たいへんな時代に生まれてきた彼ら……ですが、しかし、彼らにはやはりこう呼びかけたいのです。

魅力あふれる人間社会へ、ようこそ。
このすばらしい星、地球へ、ようこそ。

2008.01.02 - 11:17 AM |

アーサー・C・クラーク先生

アーサー・C・クラークが亡くなってしまった……。

クラークの作品やメッセージは、ぼくの精神の深いところに影響を与えています。
特に高校生の多感な頃に読んだ、見た、いくつかの作品。
何がどう、と、うまく言えないのですけれど。

インド洋の地震のときには安否を心配したものの、ご無事であることが分かってほっとしていたのですが……いずれ来るべきことであったとはいえ、ああなんだかとても悲しい。

どこかの映画館が、この機会にまた『2001年』を上映してくれるだろうか。
できる限り大きなスクリーンで、やってくれないだろうか。


このブログの本年最初のエントリータイトルは、単なる語呂合わせではなく、今考えてみるとクラークとその作品やたくさんのアイディアが、ぼくにとっての「未来への希望」の象徴のような気がしていたから、かもしれません。

さようなら、クラーク先生。
ありがとうございました。

2008.03.19 - 02:00 PM |

これでいいのだ。

もうねえ、こういうタイトルのブログがたくさん書かれているんだろうと思うのですが、でもやっぱりこう書きたくなるよねえ。

25年だの30年だの、ジジくさいエントリーばかり書いとりますが、今日もまたそんなのになっちゃうよ。

彼の漫画やアニメは空気のようにいつもぼくらの周りにあった気がします。
後年の漫画ではずいぶんびっくりするような面白いもの、いわゆる「実験的」なやつがあって、すげえなあと思ってたけど、子どものときにはそんなことよりもただ単純な、わけわかんないギャグがひたすら楽しかった。

IMG_0053.JPG絵もまねしやすくて、試しに書いてみたら今でも何も見ずにニャロメもケムンパスも描けたよ。初めて公式サイトいって比べてみたら、だいぶ違うニャロメだったけど。このデッサンの狂いは、ぼくが子どものときに描いてたのがもう狂ってたからだ。一度覚えたら本物と比べてよりよく似せようなんて思わずに、おんなじ絵をなんども描いていたのだなあ。

あっけらかんとした、暗さのみじんもない漫画。今見直しても、なんだか幸福な気分になる。


それにしても、なんと、前の奥さんもわずか3日前に亡くなっていたとのこと。

追伸です。 葬儀の日取りは、まだ決まっていません。 実は、先日、ニャロメの母も 帰らぬ人となったのです。

トキワ荘時代、センセイのアシスタント第一号で、
「ひみつのアッコちゃん」などを
手伝っていた女性でした。
まずは母を送ってから、父を送る、
とニャロメは心に決めているようです。

公式サイトのこのおしらせ [koredeiinoda.net]、なんともいい文章です。
わずか数日の間にご両親を亡くされたニャロメさん。ぼくと同じぐらいの年頃だろうかなあ。
どんな思いで今この時間をすごされているのだろうか……。


あきらめることより、現実を見据え、肯定して楽しむ。
これでいいのだ、か。
すてきな人生、だったのではないでしょうか。

2008.08.05 - 01:27 AM |

旅は道連れ小浜行け

何とか夏休みまでにすべて見終えました。
これでこころおきなく、というよりこころおどらせて、喜代美のふるさと小浜へと旅立てます。
といいますか、すでに旅立っており、ただいま米原。
ちりとてちん旅行の始まりです。

2008.08.13 - 11:11 AM ||コメント (2)

その道中の、陽気なこと!

帰ってまいりました。

『ちりとてちん』の主人公、喜代美のふるさと(という設定)である福井県小浜を見てみたくなり、夏休みに3泊4日で行ってきて、さきほど帰ってまいりました。

ドラマが終了してから4ヶ月以上たったからか、こちらの勢いとはうらはらに、どの場所へ行っても観光客と出会うことはほとんどなく、その分、あのシーンはどこだったのかを探す(といっても案内図があるのでだいたい間違いなくわかるのですけど)楽しみがありました。

泊まったホテルは草々さんが小浜に来たときに歩いた道の前。
魚屋食堂のいづみ町、おじいちゃんやおかあちゃんと語った浜辺、かわらけ投げの梅丈岳、じゅんちゃんと座った線路前の常高寺さんの石段、若狭塗り箸製作所、そしてもちろん、和田塗箸店。
架空の話なのに、ロケ地ではどこでもそのときの場面を、そこで語られた台詞を思い出し、ふぅ、と一息ついてしまいます。

小浜にいる間は、ずっと頭の中でちりとてちんのテーマが流れていました。もしくは五木ひろしの「ふるさと」の糸子さんバージョン。そうそう、喜代美が旅立つ日におかあちゃんが熱唱するあの場所にも行きました。
夕方にはどこでもヒグラシが鳴いて、これまたなんとも言えぬ気分。

毎晩、部屋に帰ってからはDVDでドラマを見直して、また泣いて笑って。

魚も野菜もおいしかった。焼き鯖もへしこも食べて満足満足。へしこ丁稚羊羹は食べられなかったけどね(笑)。

次は上方落語聞きに行かないかんかなあ。

2008.08.16 - 08:44 PM |

もんじゅの知恵はいかばかりか

夏休みを福井ですごすことに決めたのは、小浜を訪ねたいという思いが一番の理由だけれど、でも、それだけではなくて。

一度、「原発銀座」を見てみたかったのでした。

小浜の港から観光の船に乗って、様々な姿に変化する岩場を回る「蘇洞門(そとも)めぐり」でまず見たのが対岸にある大飯発電所。 ここらの原発はだいたい岬の先のほう、海側にあって陸側からは隠れているのが多いので、港からは見えないのですが、そういえばホテルからこちらの方向を眺めたときに、海に突き出している小さな半島なのに、やけに高い鉄柱が稜線に沿うようにあるなあ、と思いながらそのときはあまり深く考えなかったのですが、この発電所からの送電線でした。

そしてどこか見学ができるところ……と思って調べて、やはりここ、高速増殖炉「もんじゅ」に行くことに。

もんじゅの見学は、行く前にあらかじめ

  1. 電話で受付代行会社に申込み
  2. 日本原子力研究開発機構(動燃=動力炉・核燃料開発事業団、だと思っていたらいつのまにか名前が変わっていた)から電話が来て予定日時確認、仮受付。
  3. 同機構からメールで申込書(Excelファイル)と見学の注意点など書かれたファイルが送られてくる
  4. 申込書に記入してメールで送付して本申込。

という手順を踏まなければならず、けっこう面倒でした。

申込にあたってはぼくの連絡先だけでなく年齢、性別、勤務先、同行者の住所、前後の予定、車ならそのナンバーなども全部書く必要がありました。
勤務先までなんで必要なのかと思い、問い合わせたらていねいな返事がメールでかえってきて、原子力関係者かどうかをチェックしているとのこと。
まあ、核施設なので、少し厳重なほうが安心はするのでいいのですが。

小浜からレンタカーで1時間ほど。もんじゅに到達する直前に、美浜原発があります。 ここは港や海水浴場から海をへだてた眼の前にあり、けっこう近くに見えます。波止場で子どもが釣りしていたり、若者が海水浴したりする背景に原発があるという風景です。

美浜からトンネルをぬけて、いよいよもんじゅ。
もんじゅには見学者むけの施設が併設されています。
受付のそばの大きな液晶テレビに「ようこそ」、と、ぼくらの名前が表示されていました。身分証明書を見せて確認したあと、見学開始。二時間のコースを頼んでいました。
最初は300人ぐらいは入れそうな階段式のホールで、もんじゅのしくみの立体映像(偏光グラスで見る)と、ナトリウム漏れ事故についてのビデオ。そのときの見学者はほかにはおらず、ぼくと相棒のふたりだけだったので、広いホールの真ん中にポツンと座って。

しょっぱなから事故についての解説だったので、へぇと思ったのですが、広報のしかたとしては正しいです。
事故のことを知らないで見学にくる人(小中学生などもくるようですし)もいるから、わざわざ知らせることになりますが、わざわざ知らせるべきことですし。
まぁしかし、運転再開にむけてなんとか理解を得たいという必死さのあらわれ、でもあるのでしょう。

見学施設には当然のことながら原理やしくみを説明する模型などがあり、ずっとつきっきりで説明してくださる方の解説を聞きながらそれらを見て、なかなかわかりやすかったです。
施設の二階は事故についての展示が主で、ナトリウム漏れが起きた温度計の現物や、それがつけられていた大きな管の現物があります。温度計をどのように改良したか、新たに事故が起きたときに発見したり対応するしくみをどのように変えたか、などなど。

その後、映画で見るような重々しい警戒をしているゲートをとおり、トンネルをくぐって、もんじゅの敷地内部へ。施設の中までは入れてくれないので、少し高みにある展望台から、間近にもんじゅを見下ろすかたちです。敷地内部は残念ながら撮影禁止。

もんじゅが熱交換の媒体として使っているナトリウムとはどういうものか、という説明や、それを理解するための展示に力が入っていました。
なので、ナトリウムという物質の性質や、それを使っている理由などはよく理解できました。

説明員の方には、元研究者らしい情熱あふれた、ていねいで気持ちのよい案内をしていただきました。
なので申し訳ないことではあるけれど、ああした施設や機構に対しての不信感、不安感は、ぬぐうことができませんでした。
ナトリウム漏れ自体は、たしかにまあ大した事故ではないともいえるし、改良も適切になされているのでしょう。
なので同じ事故は起きないかもしれない。
温度計の、予測していなかった振動が事故の原因なのですが、だとすれば、何かほかの機器もまた、予測しない動きをして、こんどは重大な事故になるかもしれない、ということもまた言えるでしょう。事故は、完全に安全なことはない、ということを示しているわけで。
しかも、大した事故ではなかったにもかかわらず、適切な情報公開がされなかったということを、やはり忘れることはできません。
大した事故が起きたら、ますます情報は伝わらないのではないか。

情報伝達上の問題や、事故予測の甘さへの対応、ナトリウム漏れ事故と直接関係する以外の部分での何らかの改善策については、2時間の説明の中で何も語られませんでした。

情報は、それが受け手によって理解されることで「知識」となり、その知識がさらに受け手によって十分に応用できるようになると、「知恵」と呼ばれるものになります。

もんじゅが、その名にふさわしい、そうした知恵を事故から得たようにはみえなかった、というのが、見学を終えたあとの感想です。

もんじゅ見学を終えて外にでると、真夏らしいカッと暑い日差し。
ああ、黙祷をしそびれてしまったねぇ、と話した8月15日、お昼すぎのことでした。

もんじゅ関連リンク



などとのんびり書いているうちに、昨日、10月再開予定だった運転を2月に延期、というニュース。点検や確認作業の期間見通しが甘かったということなので、何をか言わんや。

2008.08.20 - 11:32 PM |

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ただし、こちらに書いた記事は当面このまま保持しておきます。

2008.08.31 - 11:31 PM |