わからないからこその科学

科学とは、論理的思考と、実験と、実証です。
心霊現象や、宇宙人が搭乗しているUFOや、超能力を信じる人たちが使う常套文句に「科学でも解明できないことがある」というのがあります。

でも、そんなことはあたりまえです。
すべてのことが解明できてしまったら、もはや科学は必要ありません。わからないことをわかるようにするために、科学があるのだから。
「解明できないことがある」というのを科学の敗北のごとく言うのは、だからまったく科学というものを理解していない証左です。

科学では解明できていないことはたくさんあります。
肝心なのは、解明できていないということは、わからないということでしかない、ということです。
例えば幽霊の存在を科学は証明していません。存在しないという証明もしていませんが、だからといって存在することになるわけではありません。いるかいないかわからない、というだけです。
でも幽霊を見た人はたくさんいるって?
そうではありません。幽霊を見たと思っている人がたくさんいるのです。

「由紀ちゃんが今日、下駄箱のところでぼくに微笑んだ。由紀ちゃんはぼくのことが好きなんだ」
と、思うのは勝手ですが、だからといって由紀ちゃんがぼくのことを好きだとは限りません。往々にして好きなわけではなく、勘違いです。
往々にして、幽霊はすすきや、何かの影や、ただの人です。
勘違いではない、ということをはっきりさせるには、みんなの前で、由紀ちゃんに、ぼくのことが好きだ、と言ってもらうよりほかありません。

科学ではわからないからといって、それがすなわち、ほかの要因によるものであると結論づけるのはおかしいのです。
AはBではない。ということが、AはCだ、ということにはならないのと同じです。
「空中を浮遊する円盤状の物体が、科学的にはありえない動作をしたのが観測された」
「だからそれは地球外生物の乗り物である」
というのは、論理が飛躍しています。
そこでわかっているのは浮遊物体が観測されたということだけであって、地球外生物が介在する根拠はなにもありません。
ほかにもたくさんある可能性のひとつだけをとりあげる必然性はなにもありません。


科学によって世の中のことがみんなわかってしまったらつまらない、夢がない、という人もいます。
ですが、世の中のことがみんなわかることなんかないし、いままでわかっていなかったことがわかるようになると、それにともなってわからないことがもっとたくさん増えるものです。
そうやってわかる範囲が拡がっていくとともに、わからないことも拡がってゆく。それこそが夢です。
それが科学の世界であり、科学のとても面白いところです。

[科学と、科学でないもの]
2007.10.11 - 05:40 PM |
『生きる』にクロサワの力を改めて思い知る | 美味でありました、森達也の「朝ごはん」。

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