『生きる』にクロサワの力を改めて思い知る

それほど期待はしていなかったけれど、それにしても、あれほどひどい劣化したドラマになってしまうとは。

『椿三十郎』リメーク版へのプロモーションとしてのドラマ化だったのでしょうが、だとすればプロモーション大失敗です。黒澤作品をまだ見たことのない人があのドラマを見て、「クロサワってすごい、面白そう」と思うわけがなく、むしろ逆の印象を受けるでしょう。
少なくとも『生きる』が名作と言われる理由は何もわからず、オリジナルを見ようという気をまったくおこさせないでしょう。

松本幸四郎なら演じられるかもしれない、どんなふうに演じるのか……という興味を持ってしまったのが間違いでした。幸四郎ひとりの力ではどうしようもないほどひどかった。

ドラマ作りに参加した人は、誰もオリジナルは見ておらず、シナリオだけをもらってドラマにしたんでしょう。そうであってほしい。
黒澤作品としての凄み、すばらしさの根源である演出がまったく引用されていないし、カット割り、カメラワーク、ライティング、音声、音楽の使い方すべてが、完全に量産型ドラマの文法になっていて、あの『生きる』をリメークすることへの気概が、まるでどこにも存在しなかった。
黒澤が大切にしたものが、何も生きていない。

ただシナリオを日本型ドラマ製造器に押し込んで自動的に出てきたもの。
黒澤を、映画を、そしてあそこに描かれた人生というものを、少しでも考えることがあったり、ましてや愛している人間が介在したものとは思えない。
幸四郎さんはこのドラマには出るべきじゃなかったなあ。

前の日にやった『天国と地獄』は撮っただけでまだ見ていないのだけれど、見ないまま削除しようかな。
織田裕二版『椿三十郎』は、予告編を見る限りオリジナルを忠実にリメイクしようとしたものみたいですが、だとすれば(だとしなくても、か)やっぱり見るのやめとくかな。
自分が大好きな映画を、がっかりしながら見せられたくはないよなあ。

画像がすり切れていようが、音声が多少聞きにくかろうが、オリジナルを何度でも繰り返し見たほうが、オリジナルへのリスペクトも、オリジナルからの学びもない映像を見せられるより百倍ましです。

そう、それこそ、いつ死ぬか分かっていない人間であったとしても、「わたしにはそんな暇はない」と言いたくなります。


▼追記

その後『天国と地獄』のほうを見たところ、『生きる』ほど酷くはありませんでした。ただ、時代背景がずいぶん違うこともあり、設定にはけっこう無理がある、とは思いましたが。
映画『天国と地獄』を見たのはだいぶ前なので、もう一度見比べてみよう。

[映画・演劇・テレビ] tag:
2007.09.10 - 08:29 AM |
1年で10人のひとに「死になさい」と言った国 | わからないからこその科学

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