木星

あたたかくなるにつれて、東京では星がどんどん見えなくなってくる。

それでも、晴れていれば、明るい惑星は容易に見つけることができ、このところは火星を見るたびに、岩だらけの殺風景な土地でけなげに動き回っているはずの二台のローバーに思いをはせてしまう。

しかし今は火星が西に沈む時間が早いので、夜中に帰る道々見上げる空には、もうあの赤い惑星を見つけることはできない。
そのかわりに空高く明るく輝いているのは、木星。
あの巨大な惑星の美しく複雑な縞模様や、木星が伴う四大衛星、ことに、激しく火を噴きあげるイオの姿を目の当たりにすることができたらどんなにすばらしいだろう。
とはいえ、それがかなうことは文明の進んだ友好的な宇宙人が地球を訪れてくれないかぎりありえない、という確実性が、さらにあの惑星へのあこがれを強くします。
せめて、生きているうちに、あの大赤斑の謎——なぜあのような巨大な渦ができ、少なくとも300年以上にわたって安定して存在しつづけているのか——が解かれることを祈るばかりです。

ところでぼくは、ホルストの『惑星』がとても好きで、ことに『Jupiter』は、上記のような思いを抱きながら想像する巨大な木星の映像にぴったりの勇壮さをもつ、大好きな交響曲です。
ところが、最近は、ラジオ、テレビ、それに町中でも、平原綾香の『Jupiter』をよく聞くんですよね。売れてるんでしょう。別に悪い詞だと思わないのだけれど、交響曲を聴くときに、木星の印象とはまったくことなる詞が頭に浮かんできてしまうのは避けたく、なので聞こえてくるとついつい、聞こえないところに逃げ出してしまいます。

[科学と、科学でないもの]
2004.03.13 - 01:13 AM |
『人間にとって法とは何か』 | 人殺しという処罰

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