ほんとうの悪夢がはじまったのかもしれない

このblogがイラク人質事件のことばかりになって、あまり自分でもうれしくない。
また、刻々と変わる情勢と、様々な人の意見を聞くにつれ、自分の思いや意見も微妙に揺れ動いていて、書き留めて公表することに不安がないこともないのだけれど、しかし今時点での自分の思いや意見をつづっておく意味もあると思うので、書いてみています。

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結局首相は何もしなかった。
米国の影から引きずり出されて、撤退か人質見殺しかの二者択一を迫られ、どちらにしろ明確に責任を負わなければならないという状況は、ずっと口だけで実質と責任の伴わない彼を、今回ばかりは逃げられない場所に追いつめていた。だがまたもやラッキーなことに、何もしないままに、他人の力によって、その苦境から脱したのだ。

脱したとたん、あたかも自分が手を尽くしたからこそだと言わんばかりだし、加えて、とたんに被害者を非難しはじめた。
政治的に見たってまずくないか? 未だ自衛隊が滞在しているばかりか、二人が行方不明である現状で、イラク人の気持ちを逆なでしてどうするのだ。それに比して、なんとパウエル国務長官が「日本人は三人を誇りに思うべきだ」とインタビューで語っていた。思いっきりうさんくさい、政治的発言だと思うが、だがそこには心に訴える論理がある。

首相だけでなく、何人かの政治家が一斉に「自己責任」を唱えはじめ、損害賠償という言葉まで出る始末。
首相は、議員は、国民を守るために働くことが仕事だ。それが「迷惑」とはどういうことか。
勧告は「命令」ではなく「お願い」であるべきものだ。
「われわれは国民を守る義務がある。したがって勧告を無視してイラクに入国し、その結果拘束されても、それを全力で救う努力をします。だが絶対救えるということはできない。だから自粛をお願いする」
もしくは、自己責任と言うのであれば、
「自己責任として、行くのはかまわない。日本国はその意志を尊重する。だが、国策としてテロに屈することはできないので、救助にむかうこともない。それを承知で行動してもらいたい」
このどちらでもない言動、行動は、責任と論理の不在を意味していると思う。

にもかかわらず、その政治家の言葉を鵜呑みにして、もしくはそれに乗じて、社会全体が三人とその家族の非難大合唱を始めそうな予感がして非常に恐ろしい。

レイプされた人に、あなたがミニスカートなんかはいてるから襲われたのだ、と非難する心根と同じだ。被害者が自ら受けた犯罪に責などあろうはずがない。それをあるとする論理は、犯罪者の側に荷担して、犯罪を許容すらしていることになるのではないか。

ところが、政治家のみならず、それを監視して批判を加える立場であるはずのメディアもまた非難を早速開始した。
人質解放が告げられる前にすでにそれを始めていた週刊新潮は、見出しを見ただけでも醜悪きわまりない。日頃「加害者の人権より被害者の人権を重んじるべきだ!」と言っている人たちが、被害者の過去やプライバシーをあげつらい、攻撃するのだ。
しかも三人のうちの一人はジャーナリストである。退去勧告が出ている地域にいく奴が悪い、と言うことは、報道は必要ない、と言うことだ。あるいは、日本人ジャーナリストは安全なところにいて、外国人に危険な地域の報道はしてもらおう、ということなのだろうか。

政府とメディアが非難をはじめることによって、どう考えればいいのか迷っていた国民も、非難していいんだ、と思ってしまい、それを声高に言い始め、その連鎖が起きる。
これまでも、この国の社会が論理を重んじない、論理が不在である不安を書いてきたが、その不安がますます募っている。

論理だけではない。
心が、ない。人情とかやさしさとか、言い換えれば他人の立場や思いに対する想像力がない。
この間の首相を見てきて、ほんとうにこの人は心のない人だと思うことばかりだった。
これもまたおそろしく連鎖しやすい社会なのである。

小さな大切な声がことごとくつぶされるような世の中に雪崩をうってすすみはじめる前兆ではないかと、今、ほんとうに恐ろしい。

[政治・国際・社会]
2004.04.17 - 12:59 AM |
まだ続いている悪夢 | 漫画『アクション』

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