参照よ永遠に
blogには「ニュースサイト」と呼ばれる一面があります。プロの記者や評論家ではない人たちが、いろんなニュースの論評を載せることを主眼としたblogやエントリーは、新しいメディアとしての価値を生み出しつつあります。
ぼくもここでニュースから話題をとりあげることがよくありますけれど、その際に、元記事を引用すべきか、リンクですますか、をいつも悩みながら書いています。
アクセシブルにするとともに集中させ、同じ情報が複数の場所に存在しないようにするというのが、情報を扱いやすくするための基本だと思っています。
したがって、ぼくがblogでニュース記事をとりあげるときには、本来、リンクですませたいのです。
しかしながら、今の日本の新聞社などのニュースは、日にちがたったものから削除されていってしまいます。
そのためにやむを得ず引用をしているのが現状です。
エキサイトでは、エキサイトブログからエキサイトニュースにトラックバックできる機能を提供しています。
ということは、ニュース記事はずっと残しておいてくれるのかな、という期待を持って前のエントリー「死刑執行」ではリンクをエキサイトニュースに張ってみていました。
が、残念ながらここでもニュース記事は削除されてしまったようです。
エキサイトニュースでの注釈をちゃんと見てみたら
エキサイトニュースは、ニュース記事のページにトラックバックできます。
現在はエキサイトブログ限定とさせていただいております。
※「ニュース記事本文」のリンクは、ニュース記事の保存期間が過ぎた場合、リンク先ページで記事が表示されません。
とありました。トラックバックする意味がないですね、これじゃあ。
しかもまだ今日の時点でオリジナルの毎日新聞の記事は削除されていない。(注:エントリー時には削除されていませんでした。現在は削除されています)
とは言え毎日新聞も二ヶ月で記事は見られなくなるようですから、こうしてリンクしたところで、また近いうちにリンク切れになるのは同じことです。
海外でも、新聞社や通信社系はやはり公開期限を切り、期限より古い記事への参照は有料としているところがほとんどのようですが、テレビ局系では、特に制限なく参照できるところがあります。
BBS Newsでは、97年の11月にサイトをオープンして以降の記事がすべて検索できるようになっていて、例えば2001年7月の池田小事件発生のときの記事を今も読むことができます。
CNNも同様に事件当時の記事が読めます。
そこで、日本の放送局はどうか、と調べてみたけれど、NHK、日テレ、TBS、テレ朝、フジ、テレ東、すべてニュースのアーカイブがない。期限を切っているのではなく、まったく存在しない。びっくり。特に「みなさまの」NHKにないってのはいったいどういう了見だ。こうなると1ヶ月でもアーカイブのある新聞社がまだましに見えてきます。
何かの情報を元にものごとを判断する際には、その情報の信憑性などを確認するため、情報源にあたるのがセオリーです。
自分が意見を書いたとき、その判断の元になった情報も提示することではじめて、ほかの人もその意見について判断することができるのです。
記事からの引用は、現状でももちろん可能ですし、ですからこれまでもぼくはそのようにしてきていますが、著作権法で許される引用は、必要最小限という条件がありますから、そもそもその引用のしかたが恣意的でないかどうかを判断してもらうためには、やはり元情報を参照する手段を提供する必要があります。
長くても数ヶ月で削除されてしまう記事に対して論評をするということは、元情報への参照を提供できなくなるので公正さを欠くことになり、たいへんやりにくい。
このことは、実は論評をされる側にとっても、第三者に判断してもらう機会を与えないという点で本来不幸なことだと思うのですが。
こうした傾向は、情報を発信する新聞社やテレビ局が、情報を独り占めすることでのみ、利益を得られると、依然として考えていることにすべて起因しているのでしょう。
困ったことです。
続き:
「参照よ永遠に2」
[編集・情報・ことば]
2004.10.02 - 07:14 PM
|固定リンク
<Blobs | 『恋の門』>
コメント
» きょうづか・みつぐ: ( 2007.01.05 - 05:39 PM | 固定リンク)
» ayumu: ( 2007.01.07 - 11:37 AM | 固定リンク)
コメント感謝です!
別エントリーで、コメントを受けて続き(「参照よ永遠に2」)を書きました。
ところで「情報がタダか」という問いにはエントリーでは答えませんでしたが、その点のみにここで答えるとすると、
・時と場合による
という当たり前といってしまえば当たり前の回答となります。
空気や水が、タダの場合もあればそうでない場合もありますが、それと同じです。
誰にとって「タダ」なのか、そもそも「タダ」とはどのような場合を言うのか、という点も考慮しなければならないでしょう。
つまりここでの「場合」は、「状態」「立場」「視点」などで、それらを限定しないかぎり答はだしようがなく、したがってそこから別の問題の糸口にもしにくい、と思います。
ここらへんは難しい問題ですね。
つまり、新聞社は過去記事は売っているわけです。お金を使って集めた情報をひとつの記事として作成しているわけです。もちろん、その記事が正しいのか、正しくないのかとかそういう問題は別です。
なので、いつまでも参照ができる=ずっとネットで無料で見られる=新聞社の収益が圧迫されるということになるわけです。
新聞社は税金でまかなわれていない私企業なので、儲けなくてはいけません。そこを考えないといけませんね。
ぼくらがこのことに気付いて、どんどんしてきしてやらないから、新聞社の人たちは、新聞は社会の木鐸だの、第四の権力だのという、びっくりすることを自ら言っちゃったりするわけです。
確かに、参照ができないのは面倒。ぼくもずっと参照させて欲しいなと思う。だけど、「印税」で少しはお金を得たことのある人間としては、一概にそういえるのかなとも思います。
テレビ局は、基本的にニュースだけで食べているわけではないので、ひとつのサービスと割り切っているのだろうなと想像できます。
こうなってくると、情報はタダなのか?話しになってきちゃうなぁ。
ど~ですか、情報はタダですか?