さてと、『椿三十郎』。

まあ、どのように作っても文句が何かしら出るのはリメイクの宿命とも言えますが。

黒澤のモノクロ映画の中では、カラーの映像で見てみたかった一番の作品なので、そういう意味で楽しみにしていました。
オリジナルの撮影時の三船とほぼ同じ年齢になった織田裕二が、設定上も「もうすぐ四十郎」の三十郎をどう演じるかを見てみたい、とも。(それは、男の四十という年齢を考えてみる、ということでもあります)

予測どおり、織田の三十郎は終始ニヤニヤと軽いものでしたが、でも声は腹のそこからしぼりだすように、三船の声によく似た質にしていて、それは悪くなかった。

あらためてオリジナルと比べてみると、立ち居振る舞いや姿勢、落ち着きには雲泥の差がありますね。特に若いひとの。これは演出の差がもちろん圧倒的なのでしょうが、時代の差もあるかもしれません。今のわれわれは、かつての日本人のようにぴしっとした姿勢をすることができなくなっていますから、たとえ演技であっても、よほど指導をされないと難しいのでしょう。


さてそれにしても、総合すれば、森田監督や織田くんには「よくがんばりました」としか言いようがないです。
この機会にもう一度オリジナルの三十郎を見直していたのですが、今回のリメイク版と比較すればするほど、あらゆる点で黒澤版のすごさが明らかになるばかりです。
まったく同じ科白をしゃべっても、テンポ、間の取り方、抑揚、表情によって伝わるものがまるで異なるのを目の当たりにすると、伝え方の技術、心に訴える技術というものの重要さをあらためて感じさせられました。

まあ、脚本は完璧だし、映像もこれ以上にないお手本があり、それを元に作っているから、初めて見ればけっこう面白いだろうと思います。
そして、今作を見て面白いと感じたら、ぜひオリジナルを見てみてほしいですね。
やっぱり黒澤は、すごいです。ほんとにすごい。

以下は内容に関わるので、旧・新両作をごらんになった方は続きをどうぞ。

具体的な疑問点は、当然ながら、新旧での違いについてになります。脚本はほとんど旧作そのままを使っているだけに、演出の大きな違いは気になり、なぜそうなのかと思うわけです。
この作品の中で楽しみにしてみていた場面が、いくつも変更されていることの意味がよくわからない。

・最初のシーン。敵が集まっているのを先に見せちゃだめだろ
・お堂の床下に隠れていた若侍が出てこようとするところを意地悪する。なんでそんなことするかな。
・酒をとってくる際に逃げ出した腰元、戻れといわれて「ガンバ」のしぐさって。そんなサムライないだろ。
・「金魚のフン」が金魚のフンになっていない
・奥方にイライラしながら三十郎がふすまの字をなぞる、あの見事なシーンを変えちまった
・三十郎に食事を運んだ三人の腰元。そこは遊郭ですか? キャバクラですか?
・ラスト近く。若侍が探しにいって三十郎をみつけるとき、いっしょに半兵衛がでてきちゃだめだろ
・ラストシーン。半兵衛は力の差を知り、また後がない事態において、自ら死を覚悟して三十郎に挑むのだからこそ、一発で切られなければならない。刀を抜くのを阻止する、なんて争い方しないだろ。血しぶきを出してしまうとR-15になってしまうといった理由かもしれないけど、それにしても何かほかのやりかたがあったはず。オリジナルのは、世界の映画の歴史に残る名ラストシーン、なのに。

キャスティングが大いに不満。なんだかずいぶん安易なキャスティングじゃなかろうか。
・若侍の主要三人のキャラが立ってない(今作は主要二人? にしても立ってない)
・中村玉緒が悪いとは言わないが、玉緒でなくてはいけない理由もないでしょ。もうすこし「奥様」然とした人を起用してほしかった。
・しかも狸が藤田まことですか。あの役をだれがどんなふうにやるのか、すごく楽しみにしてたのに、がっかり。藤田はほかの人より目だって原作を踏襲しない台詞回しをしていたけれど、間も抑揚もあったものではなく、含みのある科白がだいなし。ひょうひょうとした間抜けな狸にみえて実は切れ者、というキャラクターがどこにもない。
・まあ織田くんも悪くはないんですが、やっぱり軽いよね。それが彼の魅力でもあるのだから、三十郎のような凄みのある役は別な人のほうが。佐藤浩一とかならよかったんじゃないかと思うんですがね。
・オリジナルの仲代の、目がなにしろすごかったので、目の細くみえるトヨエツはその分印象が薄い。
・オリジナルの小林桂樹のとぼけた雰囲気。佐々木蔵之助は体型がずいぶん違うわりにはそれなりの味をだしていて、好感。

[映画・演劇・テレビ] tag:
2007.12.02 - 01:07 AM |
サンタさんへお願い:Kindleをください。 | 『眼の誕生』

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