旗をめぐる悲劇。『父親たちの星条旗』

——あいつらにとって一番大切なものはなんですか。
——あれだ。フラッグだ。スターズ・アンド・ストライプス。

Stars and Stripes。星条旗。

6人の兵士が、星条旗を必死に立てようとしている写真は、その背景や意味をほとんど何も知らなかったぼくでさえ、これまでに幾度も目にしたことのある有名なものでした。
米軍6,821名、日本軍20,129名が戦死した太平洋戦争の激戦地、硫黄島。
そこに立てられた旗をめぐる物語は、壮絶で悲惨な戦闘シーンをフラッシュバックさせながら、旗というものが、実体ではなく仮想のなにものかに力を与え、ひとびとを導くのに強大な力を発揮することを、教えてくれます。

どの国でも同じように、戦争で死んだ者たちを顕彰します。
後に続く者が心おきなく死ぬことができるように。
そのことも、この映画であらためて目の当たりにした、しかしよく考えればあたりまえの、事実でした。
敵も味方も、死んだ者がえらいのであれば、ほんとうにえらい者は誰なのでしょうか。

すこしでも俯瞰して見れば、命を投げ出さなければならないことの無意味さが見えてくるはずですが、俯瞰することを許さない「勢い」が、ごく小さな島のうえでの2万7000もの死を生み出しました。
その無意味さは、米軍、日本軍、それぞれが内在しているものであり、つまりは、戦争そのものの無意味さです。

無意味であるがこそ、そこに意味を見いだす……否、作り出す必要があり、そのための「旗」なのでしょう。


このエントリー冒頭に引用した会話は、大河ドラマ『新選組!』の初回にでてきたものです。
浦賀沖に停泊している黒船を見た島崎勝太、のちの近藤勇が尋ねると、佐久間象山がおもむろに黒船を指さしながら答えるのです。

新選組は、「誠」の旗をそのよりどころとしていました。「誠」の文字は、彼らの出自である道場・試衛館の「試」にも似て、内にも外にも、その存在を鼓舞する役目を負っていました。
であるがゆえに、ドラマの続編の『新選組!!』に使われた、ボロボロになった「誠」の旗は、彼らの悲劇を象徴していて見事でした。

新選組をはじめとする尊皇攘夷派はまた、敵対する薩長に「錦の御旗」を掲げられてしまったことで、自分らが賊軍になってしまったことに驚異と失意を抱いたのでした。


ペリーの黒船に掲げられていた星条旗の実物を、米国はポツダム宣言の際にわざわざ取り寄せたそうです。日本に対し、二度目の負けを思い知らせるための、装置として。


旗というただの布きれがわたしたちに与えてきた物語。
その多くは、よりどころとしての絶大な力に頼る人へのシンパシーと、であるがゆえにこそ無力感さえ抱かせるほどの馬鹿馬鹿しさとが、ないまぜになって、ぼくになんともやるせのない思い、つらい気持ちを抱かせます。


この映画で学んだこと。
旗は、ただの布きれだけれど、ただの布きれではない。そのことにもっと敏感になれ。
同じ泣くなら、泣かせようと作られたドラマでなく、こうした映画で泣きたい。だからこんな映画を見にいくときにはちゃんとハンカチをもっていくこと。

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2006.12.04 - 07:40 AM |
D903i ファーストインプレッション | 硫黄島と歌舞伎町の距離、60年。

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