2008年希望の旅

ちょうど戦後の経済の成長とともに、ぼくも成長してきました。
たとえば月面着陸や大阪万博は、ぼくにとっては単なるイベントではでなく、それらが関係するものごとから直接的間接的に影響を受け、そこから得た感覚や意識が、精神の中に深く根ざしています。
たとえばそれは、未来は明るい、というメッセージでした。

ぼくが小学校からずっと受けてきた教育、そしてたぶん、本やテレビなどのメディア、そしてさまざまな大人たちから学んできた、この日本という国のなりたち、社会が寄ってたってきたものが、ここ数年でばらばらと壊れ始めている気がします。
そのことを思い、その予兆ではないかという事象をみるにつけ、ぼくは自分の足下が崩れていくような不安や恐れを感じます。
民主主義、平和主義、基本的人権の尊重。法、科学、倫理。
こうしたツールは、人類が過去からずっと積み上げてきたものと、ツール相互の補完によって、人間の愚かさを克服し、すべてのひとの幸福を希求して、明るい未来を目指すためのものだと思っていました。
いえ、実際、そうであるはずです。

しかしこの社会では、これらのツールが本来持つ精神に立ち返ることがなく、またツールの組み合わせに必須の論理性も放棄してしまっています。
目先の一部の利益のために場当たり的に対処したり、感情を操作することで嫌悪や憎悪を育て、人をひどく単純に区別して分断したり、無視や嘲笑や隠蔽やごまかしや忘却によって正義が失われたり。

そしてこれらのことは、一部の者によってのみ行われているのではなく、多くのひとが、おそらくは自分でも気付かずに荷担していること……それがなによりも絶望的な気分にさせられます。

「KY(空気読めない)」が揶揄する言葉になるのは、「空気」が重要だとされるからです。
しかしほんとうにいまこの社会に必要なのは空気を読むことではなく、実体のあるものを読むこと。
事実を読むこと、状況を読むこと、そしてひとの情を読むこと。
「KY」であることより、「JY」であることこそ恥ずべきです。

足からくずおれそうな思いに幾度も出会わなくてはならない今、それでも「J」を読むことを続けて、少しでも明るい未来にすることはできるはずです。

現実に絶望しながらも未来を信じ、事実と状況と情に基づいて、常に明るく軽やかに一貫した行動をし続ける、わが尊敬すべき人たち……落合恵子さん、野田知佑さん、田中康夫さん、森達也さん、アーサー・ビナードさん……あなたたちに励まされながら、ぼくも少しでも明るい未来にする手助けをしましょう。


……昨年、ぼくの兄弟や、親しい友人に、新しい命が生まれました。
たいへんな時代に生まれてきた彼ら……ですが、しかし、彼らにはやはりこう呼びかけたいのです。

魅力あふれる人間社会へ、ようこそ。
このすばらしい星、地球へ、ようこそ。

[日記・コラム・つぶやき]
2008.01.02 - 11:17 AM |
紅白 | さよなら、egword。ありがとう、エルゴソフト。そして。

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