森達也『死刑』

死刑を肯定する立場から否定派へ投げかけられる言葉、たとえば「おまえの家族が殺されても犯人を死刑にしないのか」といった言葉に、ひとつひとつ答えていくことで、少しでも状況を変えることができるかも、という期待をしていました。
もちろんそうした試みは意味のあることだと思っています。
しかし、今の日本社会で、八割を超える人が死刑に賛成であるという状況の根本は、「論理が理解されていない」「事実が知られていない」ということよりも、すぐれて感情的な部分にあるのだ、ということが、今更ながら思いいたってきました。
それは、「感情を元にして死刑が叫ばれている」という側面ではなく、「感情を動かすための装置としての死刑」という側面です。

森達也さんの『死刑』は、途中から論理を追うことを止めて(論理的に死刑を肯定することができないのはもうわかった、と)感情に切り込んでゆきます。
自らの感情を「なぜ、なぜ」と問いながら、様々な立場の人の感情に見事なインタビューで立ち入ってゆく展開は、さすが、森さんならではのものです。
引き込まれてどんどん読み進めたくなる一方、一ページ一ページに刻まれた言葉をぼくの感情にも照射し、じっくり見つめてみたくもなります。『A』のような映像作品とは違い、そうして立ち止まりながら自分のペースで読み進められるのは、本というメディアのよさですね。

死刑に関して、ここのところぼくが気になっていたふたりの人物、藤井誠二さんと本村洋さん。彼らへ、期待どおり森さんはアプローチしてくれています。
藤井さんと森さんの対話、本村さんのメールを読み、死刑肯定である彼らの立場と思いが、何かストンと腑に落ちた気がしています。改めて、彼らの書いたものを読んでみよう。

そうして、「それでも僕は彼ら(死刑囚)の命を救いたいと思う」と繰り返す森さんの言葉に、これほどまでの力強い思いを持ち得ていない自分の非当事者性を、第三者としてただ論理を頭でこねくり回しているなあということを、感ぜざるを得ませんでした。

もちろん森さんも立場は第三者なのです。が、「他人の立場に立って考える」というのとも違う、そのもう少し先にあるもの、「様々な他人を含む同じ社会の構成員としての当事者」とでも言うべき立ち位置にいる森さんが少しまぶしく見えました。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
『死刑 ——人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』
朝日出版社
ISBN:978-4255004129

[書籍・雑誌]
2008.02.16 - 10:45 AM |
さよなら、egword。ありがとう、エルゴソフト。そして。 | 『冤罪File』

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