月刊アスキーの再生を祝う
「パーソナルコンピュータ総合誌」としての『月刊アスキー』が終わる、と知ったときの切なさは、70年代末から80年代初頭に「マイコン少年」だった人に共通するものではないでしょうか。
もうずっと買っていなかったアスキーの最終号を手にし、その内容を見て、ああたしかにこの雑誌の役割は終わったのだな、と実感しました。また、正直なところ、最終号は思い出話をかき集めることでお手軽に作ったという感じがアリアリと出ていて、それもちょっと切なかった。
ですが、それはひょっとしたら「振り返り」より「再生」のために力を割いているからなのではないか、という期待もどこかに持っていたのです。
「新生」月刊アスキーは、その期待に、予想以上に応えてくれています。雑誌のコンセプトも明確かつ的確だと思いますし、内容も、そのコンセプトにきちんとまじめに取り組んだ結果として充実したものになっています。
何より、とても「アスキーらしい」。
時代の中で、社会をこれから作っていくだろう新しい部分を、あふれる好奇心と、誠実な探求心で切り取って「編集」し、ポジティブでワクワクするような情報として届けてくれる。
それはかつての『月刊アスキー』が持っていたもの、そのものです。
「ビジネスとITとのギャップを埋める」というコピーは、ぼく自身が日々自分の役割として考えていることにも深く結びつきます。この「ギャップ」問題の重要度の高さに比して、それを解決することのできる人、メディア、ひいては企業は、ごくごく限られると感じています。この分野は、ともすれば専門的すぎたり、オタク的、サブカル的になったり、あるいは逆にあまりにビジネス寄りになりがちで、それは両者をうまくバランスした立場にいる人の少なさによるものです。
新しい月刊アスキーを見て、そうだ、アスキーこそこの立場にふさわしかったんだ、ということに、気がつかされました。
特集の、ブログによる企業ランキングは、業界ではすでに当然のように調査・利用されている指標ですが、このような形でわかりやすく、かつ網羅的に表現されたものは、ITの側も、ビジネスの側も、強い関心を持つものでしょう。
本城直季氏の表紙採用もいいなあ、と思う。(ただ全体が見えにくいため、本城氏の写真の魅力が半減してしまっているのは残念。遠景と近景のボケがちょうど文字にかかっているところなので、そのためにぼかしていると誤解されそう)
Squeakも、ジャストシステムが推進する「xfy」も、それぞれ強く注目している取り組みだったのですが、それらが、アラン・ケイや浮川夫妻へのそれぞれの取材インタビューによって紹介されているのも、なんだかうれしい。かつて一時代を作ったヒーローたちが、変わらずに新しい時代を拓いていく先頭に立っていてくれていることと、アスキーがそれをきちんと評価してくれている、ということが、うれしいのです。彼らと同じように時代を牽引し、歩んできたアスキーに載るからこそ、うれしい、ということでもあります。
ロゴの小文字化が、「これまでの月刊アスキーと確実につながっている、けど、新しい」ことを象徴しているようです。かつての読者としては、月号の数字の上に、4ビットのマルが残っていることや、背に旧ロゴが残っていることもうれしい。
『アスペクト』や、初期の『週刊アスキー』などで幾度かビジネス寄りにアプローチしつつもなかなかうまくはいかなかったアスキーですが、今回の新生『月刊アスキー』は、かなり期待度大です。
パソコン雑誌を作ってきた編集者たちが、そこで表現してきた自らの思いや態度を、時代の要請にきちんと応えながら作り上げた、という感じがして、アスキーの底力にいまさらながらに驚きます。
次の号も、とても楽しみです。
[書籍・雑誌]
2006.10.27 - 07:37 AM
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