たったひとつの星の上の人として

スルツカヤ選手が転んだとき、思わずぼくも「やった!」と声をあげてしまいました。しかし次の瞬間、そう叫んだ自分に対して、なんだか嫌な気分でした。
他人の失敗を喜ぶということは、あるいは誰にでもあることなのかもしれませんが、しかしそのように感じること、ましてやそう感じたことを公に表明することは、恥ずかしいことだ、という感覚を持っていたいと思います。

と同時に、同じ国籍をもっていることを理由に応援している側面があることを、自分の小さな叫びは物語っていたように思います。
荒川静香さんの落ち着いた雰囲気、ちょっと目尻の上がり気味でちょっぴりエラの張った顔かたち、自信に満ちた滑り。そうしたものが好きなので、彼女を特に一番応援していました。
ですが、だからこそ、同じ国の人だから応援するのではなくて、「彼女だから」応援したい、そういうふうな応援ができるようにならないものだろうか、と願います。

安藤美樹さんの、いつも見せていた美しくもかわいらしい表情がまったく影をひそめ、緊張しきっているのが、画面をとおしても痛々しいほどつたわってきていました。彼女の表情や演技は、オリンピックという場がどれほど強いプレッシャーを与えるものなのかということを、教えてくれました。
それによってこそ、荒川さんや村主さんのみならず、スルツカヤさんやコーエンさんもまた、そうしたプレッシャーに耐えながらあれほどまでに勝ち上がったことのすごさをまた知ることができたのでした。
断片的に伝え聞く、スルツカヤさんの人生に対する態度には、教えられることが多くありそうです。

せめてオリンピックという場においてだけでも、地球人の中で勝ち進んできた、ひとりひとりの戦いとして、国境というものを意識せずに見ていられたらいいのに、と想像します。
夢想家だと言われるかもしれないけど、でもぼくはひとりじゃない。そう信じたい。

[日記・コラム・つぶやき]
2006.03.08 - 12:46 AM |
偽りと贋の議会 | 『オーマイニュース Ohmynews の挑戦』で落ち込む

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