信頼

基本的にぼくはオプティミストなので、あらゆることは、なるようになるし、なんとかなる、という気持ちでいます。
ですが、今回の選挙の結果と、それに対する大勢の評価は、そのようなぼくをも打ちのめすのに十分な、相当な力がありました。
親しい友人と一致したのですが(こんなことで一致したくはなかったけど)、岡田民主党が掲げた「日本を、あきらめない」というコピーが、あの結果を受けて、むしろ「あきらめるしかないのか……」という思いを抱かせてしまいました。

今回、自民党を応援したにしろ、民主党を応援したにしろ、それ以外の政党を応援したにしろ、あるいは棄権したり白票を投じたにしろ、与党に3分の2以上の議席を与えたことの責任を、選挙権を持つわれわれは負わなければならない、と思います。
であるがゆえに、その責任の重さを、どれほどのひとが、どれほど感じているだろうか、ということを思うとき、率直に言って、絶望感を抱かざるを得ないのです。

ぼくはまだかろうじて、この日本という国に誇りを、強い誇りを抱いていますが、そのようにして抱けるのはいつまでのことだろうか、と思ってしまうのです。


ですが。

ぼくと同世代の人たちが、同様の強い危機感を抱いていることを知ったり、
ぼくよりも若い世代の人たちが、現実にもまれながらも、希望を抱いて活動していたりするのを見聞きするにつけ、
絶望していてはいけない、という勇気を与えられます。

それぞれの人が抱く考え方や、行動や、思いに対して、
信頼できる、と感じること。

ぼくの考えや、行動や、思いに対して、
信頼してくれている、と感じること。

それこそが、
それのみが、
希望です。


さいわいにして、そうした「信頼」をまだ持ちあえることができるから、
なにがしかのことをなし、
なにがしかのことをつたえたい、
というモチベーションを抱くことができます。


信頼できるひとたち、
信頼してくれるひとたち、
みんなに、ほんとうに、感謝です。

[日記・コラム・つぶやき]
2005.09.22 - 01:08 AM |
失われてしまった思い | カッターナイフを持ち歩いてはいけません。

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