「ホテル・ルワンダ」に恥じる
一時は日本での公開が危ぶまれていたこの映画、mixi有志をはじめとするひとたちの努力が実り、ようやく公開にこぎつけ、ありがたいことに、見ることができました。
それにしても『オーマイニュースの挑戦』を読んでも強く感じたことですが、なんと自分が無知であることか。
国内のテレビや新聞の報道が、「公正」とか「不偏不党」といった言葉をお題目にしながら、いかに偏っているか、特に国外の様々な事柄の扱いについて、著しい偏りがあること、そしていつのまにかそうした偏りに気づかなくなっていることに、あらためて気づかされます。
映画での一シーン。内紛(といっても西欧諸国の差し金による)で大虐殺がはじまろうとしている中、白人だけが国外脱出する機会を得たとき、ホテルからバスに乗ろうとするジャーナリストにホテルマンの黒人が傘を差し出します。差し出されたジャーナリストは、苦しげに、「傘なんか差さないでくれ、恥ずかしい」と言いながら足早にバスに向かいます。ただ肌の色が違うだけで自分は生を得られ、死に直面しているひとびとに何もすることができない。力と富を持つ国の国民でありながら、その力も富も、虐殺を防ぐことに使うことなく見捨てていく。
そうした自分自身や、自分が属する国を「恥ずかしい」とする感性。
日本には恥の文化があるはずだけれど、こうした感性は、今ぼくたちのそばには無くなってしまった気がします。
少なくとも、この世界には「知らなければならないこと」があり、そのことを知らないでいる、ということを恥じる気持ちを大切にしたい。
知らないことは恥であり、罪です。
知ること、そして知ったことを伝えることで、できることはまだまだたくさんあるはず。
[政治・国際・社会, 映画・演劇・テレビ]
2006.03.14 - 12:38 AM
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