情報不伝達による過失致死・20万人

インド洋大津波が起きてから一ヶ月あまりがたちました。
人類の歴史に残る災害の中でも、これほどの規模の災害はなかったのではないでしょうか。
ことにこの災害においては、情報を伝えることを仕事としているぼくの心は強く痛みます。
「情報が伝わらなかったことによって膨大な死がもたらされてしまった」からです。
地球上に情報網がはりめぐらされているこの時代において、地震直後でなく、数時間を経て津波が襲った地域でも何万人という被害が出てしまったことには、なんのための情報網だろうか、と思わざるを得ません。
国家間の地震・津波情報網ができていなかったのは国家やその国民の責任ですが、そのようなシステムがなくても、すでにこれほどインターネットが普及している今、個人の情報発信でも何かができたのではないか、と考えると、本当に心が痛い。

情報やインターネットに関わる者としてだけでなく、日本人としてもまた、心が痛みます。
「TSUNAMI」という言葉が英語になっているように、世界の中でもその恐ろしさをよく経験し、科学的にも知識を蓄えていた日本の国や科学界が何もできなかったこと、しなかったこと。
Nipponia Nipponという名の鳥を絶滅させてしまったことと同様に、ぼくたちはこのことを恥としなければいけない、と思います。

また、これは言っても詮無いことだとはわかっていることなのですが、地形上のこと。地震からの津波が各地にどのように伝わったのかのシミュレーション[aist.go.jp]を見ると一目瞭然、インドシナ半島、マレー半島、スマトラ島と連なる半島や島々が津波に襲われたことにより、太平洋への津波の防波堤になったこと、です。日本を含む太平洋に面する国々に津波がもたらされなかったのは、防波堤となって被害を受けた場所があるからこそでしょう。

何よりも、そしてまたしても、心ない首相が見事に象徴する、この国全体を覆う心のなさが気になります。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは恒例であるラデツキー行進曲の演奏を止めるという気遣いをするなど、世界にはこれを他国の出来事ではなく、「われわれ」人類が受けたことという意識を持つ国や人々は少なくありません。
ですが上記のような日本および日本人の責任は言わずもがな、日本人の被害数を強調した報道や、地震・津波直後であった年末年始の番組編成・内容にほとんど何の変更もされなかったことは、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたう憲法を持ち、国際貢献を声高に叫んでいるはずの国の国民(ぼくを含む)がほんとうは何を考え、感じているのか(いないのか)を如実に示しています。

[政治・国際・社会, 編集・情報・ことば]
2005.01.29 - 05:33 PM |
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