映画・演劇・テレビ

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)

3部作をまとめたトリロジーDVDを購入。
続けて見たらおもしろいことこの上ない。
ロードショウのときには一年ごととかでぶつ切りで見たし、特に2は「ここで終わっちゃうのー?!」という思いをした覚えがありますが、2,3というのは続編なのではなくて、1, 2, 3でひとつのお話、ということを痛感。

バック・トゥ・ザ・フューチャー トリロジー・ボックスセット

2004.01.21 - 01:17 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

『サンセット大通り』 (Sunset Blvd.)

ビリー・ワイルダー監督。
すごかった。こんな映画をよくハリウッドが撮らせたなあ。
ビリー・ワイルダーはコメディの印象が強かったが、これはなんというか、精神と感覚の両方で、背筋を伸ばさざるをえないような、そんな感じの映画。
テーマは重く暗いのに、この気高さ、品のよさはすばらしい。脚本に隙がなく、登場人物のそれぞれが抱える生き方、運命が緊張感をもって表現される。
グロリア・スワンソンとエリッヒ・フォン・シュトロハイムの二人の鬼気迫る雰囲気。ことにラストでふたりがそれぞれを演じるシーンは息を飲みます。

IMDb: http://www.imdb.com/title/tt0043014/

amazon DVD
サンセット大通り SPECIAL COLLECTOR'S EDITION
サンセット大通り

2004.01.25 - 01:40 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

『理髪店主のかなしみ』

この間ビデオ屋に行って邦画の棚を見ていたら『理髪店主のかなしみ』というタイトルがあって仰天した。
こ、これってあの、ひさうちみちおの?!
と箱を確かめたらやはりそうらしい。
あのカルトな超フェチコミックをどうやって映画に? いくらなんでも漫画のストーリーをそのまま映画にはできまい。
田口トモロヲが主役であるところから、ちょっと路線が違いそうな予感はしつつ、しかしいったいどのように料理して映画にするのかめちゃくちゃ興味がわいて、つい借りてしまいました。

で、観たところ……たしかに原作とはいろいろ違うのですが、根底に流れるフェチの精神はきちんと踏まえた佳作でありました。この監督(広木陽一)、自分もきっとフェチに違いない。
と調べてみるともともとはいわゆるピンク映画の監督だった人のようですが、未見でぜひ観てみたい!と思わせる映画ばかり。こりゃ探さなきゃ。

以下、観たいリスト。()内は自分の注目点。
『東京ゴミ女』(柴咲コウ、田口トモロヲ出演)、『美脚迷路』(ひふみかおり、鳥肌実出演)、『君といつまでも』(山本直樹原作、田口トモロヲ出演)、『不貞の季節』(団鬼六原作、大杉漣出演)

コミックを原作とした安易なドラマ化、映画化が多いが、こういうのは大歓迎。どんどんDVDにしていただきたい。


コミック →『理髪店主のかなしみ
ISBN:4872570588

DVD →『理髪店主のかなしみ

2004.02.13 - 03:16 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

Lost In Translation ロスト・イン・トランスレーション

パークハイアットで仕事の打ち合わせを終えて、時間があったので渋谷にまわり、見たいと思っていたソフィア・コッポラの「Lost In Translation」を見た。

つい30分前までぼくがいたパークハイアットのホテルが、映画の舞台だった。

母国を離れて、何をしていいのか何をしているのかわからなくて、それぞれ結婚しているのにひとりでいる、ふたりのものがたり。

さびしい異国人が異文化の中に放り出された感は、東京にいるぼくが、先ほどまでいた新宿や、今まさにそこにいる渋谷を映した映像から得ることは、ちょっぴりむずかしい。
というか、米国人と、同じように得ることはむずかしい、という、それはどの映画を見ても同じであろう当たり前のことに気づきながら、でもそれを超えて、さみしさとあたたかさを感じさせてくれるいい映画でした。

お兄さんであるロマン・コッポラ監督・脚本の『CQ』もぼくはかなり気に入っているんですが、いやあ、コッポラファミリー、いいなあ。

Lost in Translation
http://www.LIT-movie.com/

2004.05.12 - 01:41 AM ||コメント (2)|トラックバック (0)

『A2』にこの社会全体の恐ろしさを見る

ずっと見たいと思いながら、レンタルショップに行くといつも借りられていて見ることができなかった『A』および『A2』をようやく見ることができました。
森達也監督の、オウム真理教(宗教団体アーレフ)の内部に入り込んで撮影された映像をメインとしたドキュメンタリー映画です。
『A』は、若き広報部長を追い、『A2』は、各地での様々な住民運動とそれに対する団体側の対応を中心に追ったドキュメンタリー。いずれも2時間を超える作品で、どちらか一方を見るとしたら『A2』がよいでしょう。『A』を見ていなくても問題なく見ることができます。現在の日本の社会が抱えるようになっている様々な問題がより深く浮き彫りになっています。

ぼくは特に『A2』を見て、最近抱き続けている不安がますます増大しました。

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2004.06.16 - 08:00 PM ||コメント (0)

『恋の門』

羽生生純+松尾スズキという取り合わせに、カナリ期待していたのですが、予想以上の出来、という言葉を使うのは失礼ではないかと思うほど。松尾スズキ、すばらしい。
脚本、カット割り、音や音楽の使い方、どれも、うまいなあ、と声をもらしそうになりながら、見入っていました。

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2004.10.13 - 08:46 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

THUNDERBIRDS ARE GO!

最近ときどきNHKで夜中に『サンダーバード』をやっていて、つい見入ってしまってたいへんな寝不足になったりする。
それにしても、制作は1965年。日本ではNHKが66年に放映したみたいだけど、ぼくが見たのはオープニングに日本語の主題歌が入った再放送版。
いまだに、オープニングのカウントダウンと「THUNDERBIRDS ARE GO!」のかけ声とともに鳴り響くテーマソングを聴いただけでわくわくする。

最初に見てから、再放送はたぶん見てないとおもうんだけど、とするともう大昔なのに、「ああこれ見た!」とはっきり覚えているシーンがいくつもあり、そのときのドキドキ感さえ思い出すのにはびっくりするくらい。
設定としては単純な「子どもだまし」的なものも多いんだけど、そんなものは気にならない。この年になって見ていても興奮を覚える映像とメカ。すげえなあ、これ作ったの40年近く前なんだよなあ。

しかし……実写版映画が始まる前にこの再放送やってなくてよかったよ。もりあがりまくったあげくに、どん底につきおとされたかも。それでなくても相当期待して見に行ったのに……。

映画版がダメな点は多々あるけれど、一言で言えば、サンダーバードへの愛情がない。「お前ほんとにサンダーバード見てたのかよ?」って制作者にいいたくなる。テレビを夢中で見ていたヤツがこんな作り方するはずがない。

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2004.12.05 - 01:55 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

『新選組!』 みな、ありがとう!

これは予定稿です。
最終回が終わったタイミングで公開したいと思いながらも、最終回直後は、たぶん、ぼろぼろ泣きながら、腑抜けているだろうこと間違いなく、落ち着いた文章を書く自信はとてもないので、あらかじめ書いています。

学生時代、親と住んでいたころは、家族につられて大河ドラマを毎週見ていましたけれど、ここ10年くらいはまったく見ていませんでした。
『猫』からの三谷幸喜ファンではありますけれど、彼のドラマを全部欠かさず見ているかというとそういうわけでもなく、今回も「どうかなあ、おもしろいかなあ」ぐらいで見始めたのです。
新選組そのものについてもこれまで興味を持ったことがなかったので、組に関する史実の知識もほぼまっさらな状態でした。

まさかこれほど楽しみにすることになるとは……

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2004.12.12 - 09:00 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

『新選組!』 その後。作家と俳優の想像力。

新選組のその後、については今日たまたまNHKの『そのとき歴史が動いた』で見ていたのですが、その「その後」ではなくて、ぼく自身が『新選組!』を見終わったその後、のこと。
最終回の緊張と感情の起伏は、思っていたほどではなかったので、少し落ち着いていろいろ考えています。

と言いながらも、最終回のビデオは繰り返して見て、二度目は、一度目以上に原田佐之助と捨助に泣かされました。このふたりに泣かされる日がくるなんてね。
また、ストーリーを追わずに映像を見ることができる余裕ができるので、土方の美しい涙、近藤勇の最期の静かな微笑みもじっくり見ることができ、これまた、一度目以上に泣かされました。

いろんな評価がありますが、ぼくは慎吾ちゃんの演技はほんとうにすごいと思っています。

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2004.12.16 - 01:42 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

役と役者と、かつて生きた人と

月曜日のNHKの昼間の番組「スタジオパークからこんにちは」に、新選組の井上源三郎役、小林隆さんが出演してたので、録画しておいたのですが、今日それを見ました。

役者の印象が、いい役や特徴的な役柄に強く影響を受けるということはよくあります。
ただそういうのと違って、役というよりも、役であった人物の人生が、役者の人生に重なるような、これまでの役と役者の関係でみてきたようなものとはちょっと違うものが、『新選組!』の役者さんたちの中には生まれたような気がします。

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2004.12.24 - 02:38 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

ふ、副長!

ななんということ。
もう5月には発表になっていたんじゃないですか。全然知らなかった……。
望むべくもない……と思いながらも、昨年の最終回の日のエントリーに書いていた「できたら、その後の土方を描いたドラマを、見てみたいものです」が、まさかまさか、実現することになっていたとは!
副長の厳しい表情、総司の幼い顔、山南さんの笑顔……たった数分のテレマップ予告編を見ただけで目頭が熱くなる。
1月3日が待ちきれない。

新選組!! 土方歳三 最期の一日 [nhk.or.jp] 」 2006年1月3日 21時〜

2005.11.02 - 12:12 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

「白い一日」の青さ

ぼくのiTunesの再生回数トップは、「ハナミズキ」です。昨年後半は、ずっとこの曲を聴いていたような気がします。
抑えた熱い思いを抱いたり、その思いを反芻することで生きるあたたかさを得たり……「もらい泣き」以降、そのような気持ちの出し入れを詩と歌声によって支援してくれる一青窈さんという存在に、ぼくはありがたさとうれしさをいつも感じています。

そういえば、30年前、同じような……でももっとずっと青臭い……切なさをこころに抱いたときに聞き、また歌っていたのが小椋佳さんの曲、ことに、「白い一日」でした。

その曲を、今やすっかり禿げあがってしまった小椋さんが、しかしあのころとまったく変わらない落ち着きのある美しい声で歌ってくれ……そして一青さんにバトンタッチ。次の瞬間には、彼女以外のだれのものでもない「白い一日」になっていて、それはそれは見事でした。

小椋さんはぼくよりおよそ15上、一青さんはぼくより15下。
30違いの真ん中にいるぼくが、あの曲を、30年の時を経て、おふたりの声で聴くことができるしあわせ。
ぼくの大好きなおふたりが、初めて会ったのにすでにお互いに深く認めあっていたというよろこび。
小椋桂と一青窈のツーショット。小椋桂と一青窈のデュエット。
心が震えました。


思いを、すなおに見つめること。
ことばを、誠実に希求すること。

そうした気持ちや姿勢と、その結果としての歌声は、たしかに共通するものかもしれません。
そしてたしかに、そういうところこそが、ぼくをとらえて離さないところなのです。

NHK『音楽・夢くらぶ』11月3日 小椋佳&一青窈[nhk.or.jp]

2005.11.04 - 12:53 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

「ホテル・ルワンダ」に恥じる

一時は日本での公開が危ぶまれていたこの映画、mixi有志をはじめとするひとたちの努力が実り、ようやく公開にこぎつけ、ありがたいことに、見ることができました。
それにしても『オーマイニュースの挑戦』を読んでも強く感じたことですが、なんと自分が無知であることか。

国内のテレビや新聞の報道が、「公正」とか「不偏不党」といった言葉をお題目にしながら、いかに偏っているか、特に国外の様々な事柄の扱いについて、著しい偏りがあること、そしていつのまにかそうした偏りに気づかなくなっていることに、あらためて気づかされます。

映画での一シーン。内紛(といっても西欧諸国の差し金による)で大虐殺がはじまろうとしている中、白人だけが国外脱出する機会を得たとき、ホテルからバスに乗ろうとするジャーナリストにホテルマンの黒人が傘を差し出します。差し出されたジャーナリストは、苦しげに、「傘なんか差さないでくれ、恥ずかしい」と言いながら足早にバスに向かいます。ただ肌の色が違うだけで自分は生を得られ、死に直面しているひとびとに何もすることができない。力と富を持つ国の国民でありながら、その力も富も、虐殺を防ぐことに使うことなく見捨てていく。
そうした自分自身や、自分が属する国を「恥ずかしい」とする感性。
日本には恥の文化があるはずだけれど、こうした感性は、今ぼくたちのそばには無くなってしまった気がします。

少なくとも、この世界には「知らなければならないこと」があり、そのことを知らないでいる、ということを恥じる気持ちを大切にしたい。
知らないことは恥であり、罪です。
知ること、そして知ったことを伝えることで、できることはまだまだたくさんあるはず。

2006.03.14 - 12:38 AM ||コメント (0)|トラックバック (1)

『東京原子核クラブ』を21世紀の東京で観る

脚本家も、出演俳優も、そして劇場もどれも初見だったのですが、取っているメルマガの号外での紹介 [www.shinobu-review.jp] に惹かれて、六本木の俳優座に見にいってきました。

人間の様々な面(明るい面も、暗い面も)に対する暖かなまなざしが豊かにあふれる脚本を、俳優が力量を十分に発揮して昇華し、個々の人物像——人柄、思想、人生——がそれぞれキラキラと輝くすてきな舞台でした。
社会と、その中で息づく市民の思いと営みのかかわり。科学と技術への心躍る探求心と、それがもたらす挫折や悲劇。そうした食材を、「人として、人と生きる温かさ」というスープで煮込んで作られた秀逸な料理。

演劇をとおして、生きるか死ぬかもわからなかったあの時代の日本の人々に、なんだかギスギスして希望が見えないこの時代のぼくたちへのメッセージとして「やっぱり人はこんなふうに生きていくべきなんじゃないか?」と伝えられたような。
そしてその「こんなふう」というのは一辺倒なものではなく、人それぞれのさまざまな「ふう」でありながら、どこか背筋ののびた姿勢と、それでいてやわらかな他人との交わり、という共通の「ふう」なのです。

物理学者、という存在をひとつの軸に据えた点も、ぼくにはとても興味深いものでした。
世界の根本的な秘密を解き明かす行為が、人間の社会や存在そのものに密接に結びつくがゆえに、高度な論理性と豊かな想像力を必要とする物理学という学問。
ぼくが心から尊敬する人の中にも、すぐれた物理学者が幾人もいます。
真実への果て無き探求心と、社会や政治の根本を支えるということへの誇りを、光のあたった突出した学者だけでなく、立場や能力の異なる多くの物理学者や学徒が、自分なりの抱き方で抱いているのだということ。それが複数の役者によって個性豊かに描かれ、語られることによって、科学や、仕事や、社会とのかかわりについて様々なことを感じ、考えさせられます。

笑い、泣いた3時間が終わったあとは、元気をおみやげにもらいました。


役者はどなたもみなすてきでしたが、ことに小飯塚貴世江さんの演技が心に残りました。女であるがゆえに生物学者になることを諦めなければならず下宿屋で働いている娘、という設定を実に豊かに表現されていました。声に力のある人だな、と思ったのですが、声優もしているのですね。

脚本のマキノノゾミさんという方は、ぼくと世代が変わらないのに、第二次世界大戦の前後の東京の雰囲気、当時の社会と人との関わり方、語り口調などが実にそれらしいとぼくは感じたのですが、それこそあの時代に学生だった方々がどう感じるか聞いてみたいものです。
この方は2002年のNHKの連続テレビ小説「まんてん」の脚本を書かれているんですね。テレビ小説を見ることはほとんどないのでまったく知りませんでしたが、「鹿児島県・屋久島で生まれ、いつか宇宙に行きたいという夢を持つヒロイン・日高満天が国際宇宙ステーションに搭乗するまでを描いた物語」だったそうで、この設定の内容にも、また設定に対してたぶん脚本家が抱いているであろう思いにも、惹かれます。DVDで総集編でも見てみるかな。

2006.07.12 - 01:03 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

『蟻の兵隊』

誰しも、自分の弱さを、自分で正しく見つめることは、なかなか簡単にできるものではない。

だからこそ、ぼくは、奥村さんの勇気に、心をうたれる。
過去だけでなく、今も自分の中に巣食う邪な感情にも、きちんと向かい合うことのできる強さに感服する。

自らに潜む悪魔をひきずりだしてこそ、その悪魔を棲まわせたものへの怒りが正当で強力なものになる。
だがそのひきずりだすという行為は、自分のこころの中を含む恐ろしい事実にまっすぐに目を向ける勇気と、見えてしまう恐ろしさへの心構え、対応する強いこころがなくてはできない。
なんという自省。


戦後に生まれたぼくらには、戦争そのものに対する責任はない。

だが、ぼくらが生きてきて、今も生きている時代への責任は、厳然として存在する。
今このときに、過去の事実を見極めようとしていないことへの責任は、今ここにいるぼくたちにある。
今ここにある無責任や、今ここにある言葉の暴力や、それに基づいた行動を許している責任は、ぼくたちにある。

奥村さんが示してくれた、自らを省みてその先にこそ本当の敵を見いだす勇気を、ぼくの中にも持ちたいと思うのだ。


そしてもう一人。
自らを激しく傷つけた許しがたい相手への真っ当な戦いを挑みつづけながら、その者たちの思いさえも受け止める豊かなこころを持つ、そのひとの大きさ。であるがゆえに激しく伝わってくる過去と、その過去を捨て去れない時間。長い長い苦しみ。
ぼくらは彼女に過去の許しを乞う立場ではない。
そうではなく、過去のできごとを、過去のできことにできないようにしている、今ここにあるそのことを変えなければならない——できないことに許しを請うのでなく——立場なのだ。


殺したり、切り刻んだり、犯したり、そうした行為に立ち向かえるのは、殺し返したり、切り刻み返したり、犯し返したり、することではない。
そうした行為をあらゆるところで繰り返してきたことへの許しは、行為の事実をまず見つめて、自らの中に鬼がいるということを知り、認めることからしか得られない。
そして、その鬼を封印するということからしか、始められない。


おふたりの、60年以上にわたる、想像もできない苦しみと、克服への努力、そうさせたものへの永遠の怒り。

決して望んだわけではない、しかし人生をかけた行動から、ぼくは力をもらいたい。
自己満史観に陥るような、恥知らずの、美しくない国にしたくはないがゆえに。

『蟻の兵隊』公式サイト

2006.09.25 - 03:23 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)