『蟻の兵隊』

誰しも、自分の弱さを、自分で正しく見つめることは、なかなか簡単にできるものではない。

だからこそ、ぼくは、奥村さんの勇気に、心をうたれる。
過去だけでなく、今も自分の中に巣食う邪な感情にも、きちんと向かい合うことのできる強さに感服する。

自らに潜む悪魔をひきずりだしてこそ、その悪魔を棲まわせたものへの怒りが正当で強力なものになる。
だがそのひきずりだすという行為は、自分のこころの中を含む恐ろしい事実にまっすぐに目を向ける勇気と、見えてしまう恐ろしさへの心構え、対応する強いこころがなくてはできない。
なんという自省。


戦後に生まれたぼくらには、戦争そのものに対する責任はない。

だが、ぼくらが生きてきて、今も生きている時代への責任は、厳然として存在する。
今このときに、過去の事実を見極めようとしていないことへの責任は、今ここにいるぼくたちにある。
今ここにある無責任や、今ここにある言葉の暴力や、それに基づいた行動を許している責任は、ぼくたちにある。

奥村さんが示してくれた、自らを省みてその先にこそ本当の敵を見いだす勇気を、ぼくの中にも持ちたいと思うのだ。


そしてもう一人。
自らを激しく傷つけた許しがたい相手への真っ当な戦いを挑みつづけながら、その者たちの思いさえも受け止める豊かなこころを持つ、そのひとの大きさ。であるがゆえに激しく伝わってくる過去と、その過去を捨て去れない時間。長い長い苦しみ。
ぼくらは彼女に過去の許しを乞う立場ではない。
そうではなく、過去のできごとを、過去のできことにできないようにしている、今ここにあるそのことを変えなければならない——できないことに許しを請うのでなく——立場なのだ。


殺したり、切り刻んだり、犯したり、そうした行為に立ち向かえるのは、殺し返したり、切り刻み返したり、犯し返したり、することではない。
そうした行為をあらゆるところで繰り返してきたことへの許しは、行為の事実をまず見つめて、自らの中に鬼がいるということを知り、認めることからしか得られない。
そして、その鬼を封印するということからしか、始められない。


おふたりの、60年以上にわたる、想像もできない苦しみと、克服への努力、そうさせたものへの永遠の怒り。

決して望んだわけではない、しかし人生をかけた行動から、ぼくは力をもらいたい。
自己満史観に陥るような、恥知らずの、美しくない国にしたくはないがゆえに。

『蟻の兵隊』公式サイト

[映画・演劇・テレビ] tag:
2006.09.25 - 03:23 PM |
偽りの中にある真実 |

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kazeiro.com/mt/mt-tb.cgi/125

コメント

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)