科学と、科学でないもの

解明できないからこその科学

科学とは、論理的思考と、実験と、実証だ。
心霊現象やUFOや超能力を信じる人たちが使う常套文句に「科学でも解明できないことがある」というのがある。
だが、科学に解明できないことがあるのは、あたりまえのことだ。
すべてのことが解明できてしまったら、もはや科学は必要ない。わからないことをわかるようにするために、科学があるのだから。「解明できないことがある」というのを科学の敗北のごとく言うのは、だからまったく科学というものを理解していない証左である。

科学では解明できていないことはたくさんある。
肝心なのは、解明できていないということは、わからないということでしかない、ということだ。

例えば幽霊の存在を科学は証明していない。存在しないという証明もしていないが、だからといって存在することになるわけではない。いるかいないかわからない、というだけだ。
でも幽霊をみた人はたくさんいるではないか?
そうではない。みたと思っている人がたくさんいるのだ。

由紀ちゃんが今日下駄箱のところでぼくに微笑んだ。由紀ちゃんはぼくのことが好きなんだ。
と、思うのは勝手だが、だからといって由紀ちゃんがぼくのことを好きだとは限らない。往々にして好きなわけではなく、勘違いである。
往々にして、幽霊はすすきや、何かの影や、ただの人である。
勘違いではない、ということをはっきりさせるには、みんなの前で、由紀ちゃんに、ぼくのことが好きだ、と言ってもらうよりほかない。

2003.01.15 - 04:37 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

『日経サイエンス』(2004.03)

・「私たちはなぜ眠るのか」
睡眠すること、そしてレム睡眠とノンレム睡眠が存在することの理由はまだよくわかっていない。
覚醒時に傷つけられてしまう脳内の細胞はノンレム睡眠時に修復されているらしく、それがノンレム睡眠の存在する理由、という仮説。
この仮説が正しいとすると、寝だめができないのはうなずけるような。細胞が修復されきってしまえばそれ以上眠っても意味がないものね。
日中、電車を待っているときなどの意味のない時間に、5分でもノンレム睡眠ができれば、その間に少しでも修復しなければならない細胞が減って、夜あまり寝なくてもすむのかな。
もっともぼくはそういう寝方ができないので残念。
眠るのはすきだけど、寝る時間がもったいないと思うことは多い。食べることもそうだけど、好きなときにだけすればいいようになればいいのにと思います。

・「グルジアの化石が明かす初期人類の旅」
初期人類がアフリカで発生して、アフリカを出たのは100万年前と言われていたのだけれど、黒海沿岸で175万年前の原人化石が発見されたそう。まだほんの一部しか発掘がすすんでいないようなので、10年後には人類の初めの歴史ががらりと書き換わっているかも。こういう話は、わくわくする。

・「米探査機 火星着陸」
NASAのサイトで動向はいちおう追ってるんですが、探査車の大きさ、ちゃんと知らなかったけど、思っていたよりけっこうおっきいんだな。1.5m×2.3m×1.6m。
赤い大地で、がんばれ、スピリット。オポチュニティー。

2004.02.20 - 05:17 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

木星

あたたかくなるにつれて、東京では星がどんどん見えなくなってくる。

それでも、晴れていれば、明るい惑星は容易に見つけることができ、このところは火星を見るたびに、岩だらけの殺風景な土地でけなげに動き回っているはずの二台のローバーに思いをはせてしまう。

しかし今は火星が西に沈む時間が早いので、夜中に帰る道々見上げる空には、もうあの赤い惑星を見つけることはできない。
そのかわりに空高く明るく輝いているのは、木星。
あの巨大な惑星の美しく複雑な縞模様や、木星が伴う四大衛星、ことに、激しく火を噴きあげるイオの姿を目の当たりにすることができたらどんなにすばらしいだろう。
とはいえ、それがかなうことは文明の進んだ友好的な宇宙人が地球を訪れてくれないかぎりありえない、という確実性が、さらにあの惑星へのあこがれを強くします。
せめて、生きているうちに、あの大赤斑の謎——なぜあのような巨大な渦ができ、少なくとも300年以上にわたって安定して存在しつづけているのか——が解かれることを祈るばかりです。

ところでぼくは、ホルストの『惑星』がとても好きで、ことに『Jupiter』は、上記のような思いを抱きながら想像する巨大な木星の映像にぴったりの勇壮さをもつ、大好きな交響曲です。
ところが、最近は、ラジオ、テレビ、それに町中でも、平原綾香の『Jupiter』をよく聞くんですよね。売れてるんでしょう。別に悪い詞だと思わないのだけれど、交響曲を聴くときに、木星の印象とはまったくことなる詞が頭に浮かんできてしまうのは避けたく、なので聞こえてくるとついつい、聞こえないところに逃げ出してしまいます。

2004.03.13 - 01:13 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

どうでもいい血の話

「あなたの血液型って何?」と聞かれれば、ぼくはとりあえず応えますが、そのあとですることになるやりとりには、ぼくの気持ちはまったく入ってません。興味のないスポーツの話をするよりももっと興味がなく、ほんとにどうでもいいと思っていて、違う話題に早く移ろうと考えています。

それにしても、どうしてこれほど「血液型は性格と深い関連がある」ということが信じられているのか、ほんとうに不思議でなりません。

「○○さんって、何型?」
「え、A型だけど」
「A型なの〜? えー、ぜんぜんA型っぽくな〜い」
なんて会話はよく聞きますよね。
ある血液型と、ある性格に相関があるとしていながら「ぜんぜんA型っぽくな〜い」と認めるのってどういうことなんだろう?
「ぜんぜんA型っぽくな〜い」という例が見いだせるということは、血液型と性格とは関係がない、ということではないの?

血液型と性格の相関は占いとかじゃなくて統計的に証明されている科学だ、と思っている人は、そのような統計をどこでみたんだろう?

まだ占星術やカード占いのほうが、たった4種類しかない血液型よりもずっと複雑で信じやすそうです。
にもかかわらず、この社会ではどうみても血液型性格判断のほうがはるかに普遍的な信頼を得ています。

そういう意味では、この社会が、なぜみんな血液型性格判断に執着するのか?ということには、とても興味を覚えます。

2004.03.25 - 10:35 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

「こちら」でがんばるしかないか。

幽霊を見たり、存在を感じたりする人がいる。

ぼくは一度も幽霊に会ったことがないのだけれど、そのような話題になると興味津々。
幽霊に会える人が、うらやましい。
ほんとうに、心から、幽霊に会ってみたいと思っています。

怖いかもしれないけれど、その怖さをなんとか克服して、ぜひ聞いてみたい。
「そっちはどうなの?」

けっこう幽霊を見たり会ったりする人は多いようなのに、どうしてちゃんと「向こう」の話を誰も聞いてくれないのだろう。

「向こう」が、たとえどのような世界であれ、存在するとわかれば、どんなに心休まることだろうか。
死を迎えても、その先があるということに確信がもてれば、どれほど救われることだろうか。

「臨死体験」では、よく向こうから呼ばれるという話は聞くけれど、そのような死に際の意識の中ではなく、現世に出現する幽霊が「あっちの世界はいいから早くおいで」と勧誘する話はあまり聞かない。
逆に「向こうは酷いからぜったい来るな」と幽霊がしゃべった、なんていう話も聞かない。

つまり、幽霊がいるとしても、彼らがいるのはやっぱり現世であって、「向こう」は存在しないんだろうな。
つまんないの。

2004.03.27 - 06:14 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

知るための方法を知るための方法

科学というものは、実験と計算でできた冷たいゲンジツ、みたいに見られているところがあります。

でも本当はそうではなく、わくわくする気持ちを源泉とした、世界の秘密を知るための方法、であるとぼくは思います。
そしてその「方法」は、科学者でないぼくらにとってもまた、この世の中でいろいろなことを知ったり考えたりするために絶対必要な、とても大切な「方法」です。

科学とは、知識ではなく方法だ、とずっと思っていたぼくですが、その方法そのものを考える学問がちゃんとあることを、最近になってようやく知りました。
自分の不勉強さにあきれつつ、またひとつ面白いものに出会えた喜び。

「科学哲学」とよばれるその学問をぼくに紹介してくれたのは、「科学と科学でないものの線引き」という課題を通して科学とは何かを考える『疑似科学と科学の哲学』という本。とても勉強になりました。
科学それ自身についての理解はもちろんですが、「どのように知り、考えるのか」ということについて「知り、考える」ためのとてもいい教科書です。
頭をフル回転させながらでないと読み進められないので、時間がかかりましたが、でもたぶんこれからも何度もひっくり返して読むだろう一冊です。

疑似科学と科学の哲学
伊勢田哲治著、名古屋大学出版会刊
ISBN:4815804532

著者は名大助教授で、名古屋大学出版会刊だから、実際に教科書として使われているものだと思います。
そういう意味では、「どのような題材で、どのように教えるか」ということについても、とても参考になりました。内容は堅いけれど、構成も文章も読みやすく、おもしろいので。

2004.05.01 - 01:52 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

火山灰

今日はなんだか机の上やキーボードがザラザラするなあ、掃除してないわけでもないのに?と思ってたんだけど、夜にニュースを見ていてわかった。
浅間山の火山灰だったんですね。
最近ようやく涼しくなってきて、風が通るように窓を開放しているので、その窓からどうやら網戸をくぐり抜けて火山灰がわずかながら侵入した模様。

2004.09.17 - 08:42 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

今年は火星

ぼくは「日本惑星協会[planetary.or.jp]」の会員です。
ここの協会は、会員に、毎年、カレンダーを送ってくれます。
去年は、太陽系の惑星の写真でしたが、今年は火星の写真だけで12ヶ月。
ちょうど一年前の今日、1月3日に火星の表面に降り立ったマーズローバー1号機「スピリット」と、少し遅れて到着した2号機「オポチュニティ」から送られてきた美しい写真を幾葉も採用したカレンダーです。(非会員も2000円で買えるみたいです)

今年は、土星探査船カッシーニからの情報もこれからたくさん見られるでしょう、
地球ではたいへんなことがたくさん起きていて、眼が放せないけれど、ときには、空のかなたに気持ちを飛ばしたくなります。

2005.01.03 - 10:25 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

ウナギにトキメキ

ニホンウナギの産卵場所が特定されたそうです。
こういうことがあるたびに、やはりなるべく長く生きていたいものだ、と思います。

まだ幼かったころ、科学のドキドキを教えてくれたことのひとつが、ウナギの秘密、でした。
誰もこれまでウナギの産卵を見たことがなく、どこで生まれているのかもわからない、ということを知ったときの驚き。
馴染みの深い身近な生き物の、そんなことさえまだわかっていない。

科学というものを「わかっている人がいて、教えてくれる知識」のように思っていたぼくが、そうではなく、「わからない人がいて、わかるために探している知識」なんだ、ということを、ウナギの秘密が教えてくれました。
そのときの感覚を今でも覚えています。
まだまだ世界は未知にあふれていて、わからないことを知ろうとする努力のもつ、実に楽しそうな雰囲気。

わからないことは、わからないままにしておいたほうがロマンチックで楽しい、という人もいます。

山芋がウナギになるんだとか、ウナギは金星の生物だとか、そういう妄想をたくましくするのも楽しいけれど、でも、真実がわかる楽しさには、とうていかなうものではありません。

そして、わからないことがわかったとき、実はその先にまたたくさんのわからないことが、待っているのです。
この世界の秘密も、人の知りたい気持ちも、尽きることがない。

今回、特定されたといっても数十キロに及ぶ海域にしぼられたということであって、産卵の姿や卵が発見されたわけでは、ありません。

だからその先には、なぜウナギがそんな遠くに行って卵を産むのかとか、いったい何を食べて大きくなるのかとか、なんで幼魚はあんな葉っぱみたいな形なんだとか、不思議はまだまだ続いています。

少しでもたくさんの不思議を知るために、やっぱりなるべく長く生きていたいものです。

ニホンウナギ:産卵場所はマリアナ海域 東大海洋研が特定

生態に謎の多いニホンウナギについて、東京大学海洋研究所のチームがふ化したばかりの赤ちゃんウナギ仔魚(しぎょ)を世界で初めて大量に発見し、産卵場所を突き止めたと発表した。場所はグアム島近くのマリアナ諸島西方海域。(中略) 23日付英科学誌ネイチャーに掲載される。

mainichi-msn.co.jp

2006.02.24 - 05:52 PM ||コメント (1)|トラックバック (0)