日記・コラム・つぶやき

有限の未来

はてしなく無限へのあこがれを抱きながら
私が持っているのは有限の未来だ
うつろいゆく時の流れの中から
のがれえるてだては何も持たない

過去も 未来も 私は知らない
私が自由にできるただひとつの時は
“今”でしかない
有限の時間のなかの無限の“今”を
ひとつ ひとつ ひらめかせてゆくのが私の役目だ

花も 虹も 人も
やがて消えてゆくから 美しいのだろう
消えさる時のくる前に
私は いくつの輝きを生みだすことができるだろうか

1981.02.22 - 11:36 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

ハーブ

3dush0008.jpg過日旅行した際に立ち寄ったハーブ園で、ハーブを買った。
ハーブには詳しくないので、特徴などを覚えられるように、とりあえず知った名前のハーブにした。
イタリアンパセリ、ピンクセージ、ローズマリー、タイム。「スカポロフェア」セットである。
時計回りにこの順になるように鉢に寄せ植えしたので、これなんだっけ、となると歌を歌って思い出すわけ。

2003.12.03 - 11:49 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

日暮れの代々木公園

3e4sh0017.jpg原宿で、次の打ち合わせの前にどこかでコーヒー飲みながらパソコン使いたいと思ったのだが、地下鉄の出口から上がってゆくときに、ケヤキの黒々とした枝振りが目に入り、コーヒーを持って代々木公園に行くことを思いつく。

ドトールで買って公園に行くと演劇や楽器の練習をしている学生などがちらほら。
落ち葉のじゅうたんが敷き詰められた秋の代々木公園は、やや赤みを帯びた陽の光に木々が長い影を落として、美しい。
木の机一体型ベンチでしばらくパソコンを使っていたが一時間ぐらいで寒くなり、退散。

2003.12.10 - 03:53 PM ||コメント (0)

コーヒー

コーヒーがないと生きていけない。というのはおおげさだけど、気分的にはそれに近く、心の安定剤になっているところがある。
仕事をしているときには、コーヒーがないとどうも精神が集中しない。

家ではコーヒーメーカー(PHILIPS製)のを使っているが、コーヒーメーカーではやはり味は今ひとつ。ちゃんと手で淹れないとおいしいものにはならない。
かつてぼくに本当のコーヒーのおいしさを教えてくれたのは、一軒のコーヒー専門店だった。だがこの店はなくなってしまった。その店のコーヒーを飲むためだけに、ぼくはよく電車に乗って30分ほどかけて出かけたものだった。

そこの店のコーヒーを飲むまで、ぼくはコーヒーには砂糖を1杯は入れていた。だが本当においしいコーヒーには砂糖は必要ないんだということを知り、ブラックで飲むことを覚えて、それに慣れてしまったので、いまはどこでも、よほどまずい場合を除いて、ブラックで飲んでいる。

残念なことに、それほどおいしいコーヒーを飲めるところを、ほかにまだ見つけていない。
たとえ東京になくても、ほんとうにおいしいコーヒーがあれば、ぼくはそのために旅をするだろう。

2004.01.14 - 11:17 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

新宿の異臭騒ぎ

DVC00008.JPG新宿で飲んでいたら異臭騒ぎに遭遇。
救急車が7台ほど靖国通りに止まっていて何事かと思ったが、人が多くて何があったのかさっぱりわからず。テレビも来ていた。帰ってからサイトで調べたら異臭騒ぎだったよう。
しかし殺虫剤なのでよかったが、サリン事件のようなことであったらヤジウマ根性出して近寄るべきじゃなかったのだと今頃反省。

Yahoo!ニュース:新宿のビルで異臭騒ぎ 殺虫剤で10人が病院に

2004.01.29 - 11:45 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

庭園美術館「アール・デコ様式」展覧会

DVC00006仕事の合間に庭園美術館へ。平日の五時過ぎとなるとそれほど人も多くなく、80年前のパリ(アール・デコ博覧会)や、70年前の朝香宮邸建設に思いをはせながら、ゆっくりみることができた。
あの建物はアール・デコと日本の意匠が調和して徹底的に細部にまで凝って作られているから、いつもいくたびに胸がときめくような感覚を覚える。
初めて公開された三階の「ウィンター・ガーデン」という名の見晴らしのよい部屋もすてき。温室のように使っていたらしいのだけど、植物がたくさんあったときのあの部屋は、すばらしかっただろうな。

2004.01.30 - 07:09 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

虚脱

思いっきり力が抜けて虚しくなり、厭世的になること。
ぼくの場合、論理がとおらないことが強行され、しかもそれに対してぼくが無力であると感じると、胸の奥の下の方に、イヤな感じの重いものがわき出てきて、もうほんとうにがっくりくる。
そういうことが近ごろ多すぎて、参ります。

・イラク派兵。ことに小泉が憲法前文を根拠にしたときにはもうほんとに……

・海外生産の邦楽CDの国内への還流禁止という暴挙。
著作権を改訂ということだが、自分とこで海外に売ったものが戻ってくるだけなんだから著作権の問題じゃねえだろう。海賊版じゃないんだから。
海外では安く売って、自国民には同じモノを高く買わせると。
CCCDに続き、CDを買わない理由を次々とぼくに作ってくれるのは、買うなということですかね? 音楽業界は自殺したいらしい。

2004.02.20 - 04:53 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

STIKFAS

stikfas.jpg池袋サンシャインシティに行ったときに、トイザらスに立ち寄ったのだけれど(本屋、文房具屋、おもちゃ屋は、時間があれば通過することができないタチ)、そこで見つけた、関節がかなり自由に動くSTIKFASという人形。何種類かあったのだけれど、これも関節が自由に動く、ロデムのような黒いヒョウ(?)がついているのに惹かれてこれに。
自分で組み立てるのだけれど、小さく(身長8cmほど)、関節をはめるのがわりと固いのでちょっと苦労した。早く作り上げたくてバリをとらずに作ってしまったので、次に買ったらちゃんときれいに作ろう。
よくできていて、デザインもいいです。お気に入り。
けっこういろんな種類があるようです。

オリジナルサイト http://www.stikfas.com/

トミーのSTIKFASサイト http://www.tomy.co.jp/stikfas/

2004.03.06 - 05:17 PM ||コメント (0)|トラックバック (1)

染井の桜

somei_s.jpgでがけに寄り道をして、染井の墓地に桜を見に。
ソメイヨシノ発祥の地という由緒正しい場所にありながら、近所のひとがぽつぽつと来ているだけで、もちろん酒臭さや騒音カラオケとは無縁の、静かな花見が楽しめる、とっておきの場所。

満開の桜を見上げていると、ふう、と、胸がいっぱいになる。

かつて生きたたくさんのひとびとが眠る古びた墓石や卒塔婆の上を、堂々とした枝振りの先々につくたくさんの淡いピンクの色が覆っているさまは、生と死が繰り返す営みを象徴しているような気がしてくる。

何年か前、この墓地で、満開の花を見上げながら、
「今年も咲いてくれてありがとう」
とうれしそうに樹に話しかけていた老婦人がいた。
ぼくも、ああほんとうにそうだなあと、その老婦人に声をかけたかったけれど、
なぜだか目頭があつくなってしまってかけられなかった。
あの方は、今年も見に来ておられるだろうか。

2004.04.01 - 04:25 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

母の仕事

かつて母が携わった本が国会図書館にあることまでは、検索して、わかっていました。
でも手に入れたくて、ずいぶん探したけれど見つからず、それで「日本の古本屋」(http://www.kosho.jp/)の「探求書コーナー」とヤフオクのアラートに設定していました。

関係のない本もキーワードにひっかかったりして、なかなか出てこなかったのだけれど、ついにようやく、ヤフオクで見つかった。

同業者であった父と結婚し、独立した父を助ける形で勤めを辞めた母は、自分が東京に出てきてからの仕事のことをぼくによく話してくれました。
ぼくが受けた影響は、もちろん父からのものも多大だけれど、こと編集やデザインということに惹きつけられるようになった源泉は、母から伝えられたものにあるようです。
子ども心に、その話しぶりから、自らの仕事に対する強い誇りを感じ、仕事への興味と態度を学んだような気がします。

奥付をみると、1954年発行。ちょうど、50年前。
これを持って行って、終戦から立ち直りはじめた日本での、今のぼくよりもずっと若い母の話を、そして50年前の編集や印刷や写真の話を、またひとしきり聞いてこよう。

2004.04.08 - 07:46 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

ニーチェア

もうかれこれ10数年使ってきたニーチェアのキャンバスシートが破れてしまった。
張り替えはできないものかとサイトで調べてみたら、シートだけの販売をしていることを知って安心。
……したのもつかの間、いざ注文しようとしたら、ぼくが使っていた「黒」のシートがない……。
オットマンも持っていて、こちらは問題ないので、黒のシートはどうなったのかを、徳島にある制作元のニーファニチアに質問メールを出してみました。丁寧な返事をいただきましたが

申し訳ありませんが黒のシートは最近廃盤になりました。
在庫もなくなってしまいました。
現在シートは7色になっています。
とのこと。ううん残念。でも直販だと販売店よりも価格が安いことがわかり、黒の再販を望むことを添えて、別の色をさっそくメールで注文。

たしかニーファニチアは、この椅子をデザインした新居 猛氏のご実家です。価格もだけれど、制作元と直接こうしてやりとりできるのは、なんだかうれしい。

ニーファニチア
http://www.tcn.ne.jp/〜nshin/

ニーチェアX 詳細
家具通販 丸正家具サイト

2004.04.30 - 08:19 PM ||コメント (0)|トラックバック (1)

ドトールコーヒーへの要望

スターバックスやタリーズの店の雰囲気がぼくは好きだけれど、コーヒーの味はドトールがいい。
なのでよく利用するが、いつも気になっていたことがあり、思い立ってドトールのページから要望を出しておいた。

いつも御社の各店を愛用させてもらっています。

要望が二点あります。

1.
注文を取るときに
「お召し上がりですか?」
と聞かれます。

「召し上がる」とは「食べる、飲む」の敬語です。
「こちらでお召し上がりですか」の「こちらで」を省略しているものと思われますが、重要なのは「こちら」か「持ち帰り」かでしょう。
「召し上がるか」と聞かれても「召し上がるに決まってる」と心の中でいつも思っています。
御社のマニュアルに「こちらで」を省略する尋ね方を記載しているのであればそれは間違いですし、そうでないのであれば店員さんへの指導をしていただきたいと思います。


2.
禁煙スペースについて。
最近少しずつスペースが増えているように感じますが、しかし御社の店はどこも喫煙スペースと禁煙スペースに区切りがないので、禁煙スペースにいてもほとんど意味がありません。
コーヒーの味は、外資系の店とは比べられないほどおいしいと思っておりますが、どの店に行っても、禁煙スペースであっても煙く、服にも匂いがついてしまうので、それで敬遠することが多々あります。
御社の店舗は狭いところも多いので、スターバックスのように全面禁煙が望まれますが、せめてタリーズのように、喫煙スペースは完全に別室として、禁煙スペースがその名のとおり煙のない場所になるようにしていただきたいと思います。

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2004.08.18 - 02:29 PM ||コメント (0)

ミムラ チヒロさんからのメール

先週、たてつづけに来ていたミムラ チヒロさんからのメールがまた来ました。

最初のメールで、いちおう疑って、ヘッダの確認はしたんですが
X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.50.41332400
とあったので半信半疑でありながら返信してしまったんですねぇ。
もうちょっと警戒すべきだったか。

ぼくが書いた返事の内容は、「送った覚えはないけど、どんなメールでしたか」というものだったので、相手からの二通めは、まさにそれの返信のようにみえました。
それでも一応再度ヘッダみたらこれにはX-Mailerがなく、それでメルアドで検索したら、やっぱりヒット。
まったく同じ文面のスパムがいろんな人に行ってました。
しかし、こちらが返事しそうな内容をうまく次につなげているんでちょっとだけ感心。
しかも返事をしなくても次がどんどんくるし、スパムなのになかなかURLを入れたメールが来ないから、次がちょっと楽しみになったりして。でも6通めにURL入ってきました。
それで終わるかと思ったら、そのあとも何通かつづき、今日また一週間ぶりにメールが入ってきました。
いつまで来ることやら……。

しかしスパムのわりには手間かけてて、けっこう考えられた内容でおもしろいのと、ほかの人にも見てもらえばスパム対策にもなるということで、サイトに載せておく意味は、あるでしょうかね。

ということで、以下に載せておきます。

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2004.10.19 - 06:25 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

新品じゃなきゃイヤ、という白石加奈。spam。

kitty_kananこと白石加奈さんから問い合わせメール。
危うく返信するところだった。

ごく最近出され始めたものらしく、Googleにはひっかからず、でもyahooメールだったのでyahooで検索してみたら2件のblogが取り上げてました。
まったく、油断も隙もない。
「間違いではないですか?」と返信する親切はできない殺伐とした世の中ってこった。
うっかり返信したりしないように、気をつけましょう。
以下がメール。

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2004.12.21 - 12:30 PM ||コメント (3)|トラックバック (0)

泣き笑いの一年

2004年は、実によく泣き、よく笑った一年でした。
泣いたときには、強くそのことを書いておきたくなるので、そんな話を何度かここにも書きましたが、腹を抱えて苦しくなるほど笑ったこともまた、幾度もありました。

泣くことも、笑うことも、精神のバランスをとるツールとしてこれほどすぐれているものはない、ということを実感した一年でもありました。

様々なたくさんの作品が、ぼくを泣かし、笑わせてくれました。
そのような作品を作り、伝えてくれた作家、監督、芸人、ミュージシャン、脚本家、詩人、俳優、投稿者の方々に、心から感謝の念を送ります。またそうした作品に出会うきっかけをくれたり、いっしょに泣き笑いをしてくれた友人たちにも、ありがとう。

現実社会の出来事に対しては、残念ながら笑わせられることはほとんどなく、泣かされることばかりでした。
その涙の源となった現実が変化し、喜びになったものもありますが、いまだに、泣くしかないままの現実も存在します。

2005年は、できうるなら仮想の世界での泣き笑いと、現実の世界の笑いのみに満ちた年になってほしいものです。

2004.12.31 - 10:44 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

朝のふたり

早朝の地下鉄。
がらがらの車内で、ぼくの前に座った、たぶん二十歳ぐらいの女の子ふたり。
ひとりは髪が長く、フェミニンな服装。もうひとりは髪が短く、中性的な格好。
髪の長い子が熱心に話しかけていて、髪の短い子はうんうんとうなづいて聞いています。
ふたりが醸し出している雰囲気がとてもやわらかく、いい感じなので、思わずその風景を眺めていました。
たぶん、恋人同士でしょう。
ふたりの間では、指を組んで手を結んでいて、左手の同じ薬指に、同じ指輪。短髪の子がときどきもうひとりの子の髪をやさしくなでてあげたり。
iPodを聞いていたので会話はまったく聞こえていなかったのですが、音楽を聴きながらだったせいもあり、とてもあたたかな映画の一シーンを見ているようでした。
異性の恋人同士にも、同性の友だち同士にもつくりえない、ふうわりとした空気。
あまりずっと見ていたからか、電車を降りるときに、ちょっと不審そうなまなざしを髪の長い方の子に投げかけられてしまったのだけれど、ごめんね、好奇心で見ていたのではなく、ほんとうに、すてきな二人だと思って見ていたんです。

2005.03.29 - 03:46 AM ||コメント (1)|トラックバック (0)

失われてしまった思い

いつもぼくが抱く、情報の伝わり方や報道のされかた、といったものへの興味ではない、何か違うもののために、ぼくはここ数日のテレビ報道に心が奪われています。
なぜなのか、自分でもよくわからない。
ただ、あの大惨事に居合わせてしまったひとり一人の心の中に訪れるような気持ちで、報じられる名前や、立場や、その日の行動や、残した言葉から、そのとき、何を見、何を感じ、何を思ったのか……と、想像を繰り返しています。

仕事に行く途中、暖かな日差しの中、昼間少しすいた電車に乗って、あちこちで人が話をしていたり、携帯でメールをしたり、いねむりをしたり、読書をしたりする人たちの風景を見ていても、あの電車もまたこのようなありきたりの日常の中にいたはずだという思いにとらわれてしまいます。

あのとき。
車体が大きく傾き、折り重なって堕ちてくる他人の肩越しに、天を向いてしまっている車窓から一瞬の青い空を見たのが最期となった人がいたかもしれない。
つないでいた手が、ものすごい力で引き離されて、別々の場所で逝ってしまった恋人たちがいたかもしれない。
そして……自らのいのちばかりか、百人を越す人のいのちを奪うことになるなどきっと思いもせずに、ただ何かに追い立てられて必死になっていたのかもしれない、まだ若く経験の浅かった運転士は、100キロのスピードで猛然と迫りくるマンションの壁を目の前にした最期の瞬間、いったい何を思ったのでしょうか……。

2005.04.28 - 10:55 PM ||コメント (0)|トラックバック (0)

信頼

基本的にぼくはオプティミストなので、あらゆることは、なるようになるし、なんとかなる、という気持ちでいます。
ですが、今回の選挙の結果と、それに対する大勢の評価は、そのようなぼくをも打ちのめすのに十分な、相当な力がありました。
親しい友人と一致したのですが(こんなことで一致したくはなかったけど)、岡田民主党が掲げた「日本を、あきらめない」というコピーが、あの結果を受けて、むしろ「あきらめるしかないのか……」という思いを抱かせてしまいました。

今回、自民党を応援したにしろ、民主党を応援したにしろ、それ以外の政党を応援したにしろ、あるいは棄権したり白票を投じたにしろ、与党に3分の2以上の議席を与えたことの責任を、選挙権を持つわれわれは負わなければならない、と思います。
であるがゆえに、その責任の重さを、どれほどのひとが、どれほど感じているだろうか、ということを思うとき、率直に言って、絶望感を抱かざるを得ないのです。

ぼくはまだかろうじて、この日本という国に誇りを、強い誇りを抱いていますが、そのようにして抱けるのはいつまでのことだろうか、と思ってしまうのです。


ですが。

ぼくと同世代の人たちが、同様の強い危機感を抱いていることを知ったり、
ぼくよりも若い世代の人たちが、現実にもまれながらも、希望を抱いて活動していたりするのを見聞きするにつけ、
絶望していてはいけない、という勇気を与えられます。

それぞれの人が抱く考え方や、行動や、思いに対して、
信頼できる、と感じること。

ぼくの考えや、行動や、思いに対して、
信頼してくれている、と感じること。

それこそが、
それのみが、
希望です。


さいわいにして、そうした「信頼」をまだ持ちあえることができるから、
なにがしかのことをなし、
なにがしかのことをつたえたい、
というモチベーションを抱くことができます。


信頼できるひとたち、
信頼してくれるひとたち、
みんなに、ほんとうに、感謝です。

2005.09.22 - 01:08 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

矢野顕子を聴いた夜

もう20年以上も聞き続けてきたのだけれど、今回、初めて彼女の音楽をまのあたりにしました。
癒されるというのとも、心がうち震えるというのともちょっと違う、矢野さんの音楽にしか感じない何かに共鳴して、ぼくは何度か目頭を熱くしていました。

胸の奥の、鼓動する心臓の中に、両手がすっとさし入れられて、中にあるまあるい心がふたつの手のひらに包まれ、やさしくなでられているような、そんな感覚。

聞きながら浮かんでくるのは、太陽系の巨大な惑星たちが、重なるように宙に浮かんでいる映像。なんにんかの人たちが手をつなぎあってにこにこしている映像。
人や、こころや、なにものかが、「つながっている」あたたかさ。

帰りにパートナーが誘ってくれて立ち寄ったラウンジは、うれしいことに音楽が流れておらず、ポツポツとふたりで語りながら、ゆったりと余韻にひたることができました。
いい夜です。

2006.02.21 - 12:48 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)

ぼくの眼を釘付けにしていた君が、昇天。

今日、CRTディスプレイが表示しなくなった。
ナナオのFlexScan 52F。95年に買ったものなので11年使ってきました。

机の上もすっきりするし、そろそろ液晶を……と思い続けて何年たつのか。やっと買い換えだ!

……と思いながら、どこか愛着がわいている自分がいます。
考えてみると、この間、コンピュータは何台も、ほかの周辺機器もことごとくかわってきているけれど、こいつだけはそのままずっとかわらず、そしてほとんど毎日使ってきていました。
多少お金がかかっても修理ができるなら……と問い合わせてみたのですが、「もうしわけないのですが、たいへん古い機種なので部品がもうなく、修理をお受けできません」。
コンピュータ機器の10年は「たいへん古い」ことになってしまうのだなあ。

しかたない。残念無念。
いつもぼくの視線を一身に浴びながら、ほんとによく働いてくれました。
ごくろうさま、FlexScan。

2006.02.25 - 04:18 PM ||コメント (2)|トラックバック (0)

たったひとつの星の上の人として

スルツカヤ選手が転んだとき、思わずぼくも「やった!」と声をあげてしまいました。しかし次の瞬間、そう叫んだ自分に対して、なんだか嫌な気分でした。
他人の失敗を喜ぶということは、あるいは誰にでもあることなのかもしれませんが、しかしそのように感じること、ましてやそう感じたことを公に表明することは、恥ずかしいことだ、という感覚を持っていたいと思います。

と同時に、同じ国籍をもっていることを理由に応援している側面があることを、自分の小さな叫びは物語っていたように思います。
荒川静香さんの落ち着いた雰囲気、ちょっと目尻の上がり気味でちょっぴりエラの張った顔かたち、自信に満ちた滑り。そうしたものが好きなので、彼女を特に一番応援していました。
ですが、だからこそ、同じ国の人だから応援するのではなくて、「彼女だから」応援したい、そういうふうな応援ができるようにならないものだろうか、と願います。

安藤美樹さんの、いつも見せていた美しくもかわいらしい表情がまったく影をひそめ、緊張しきっているのが、画面をとおしても痛々しいほどつたわってきていました。彼女の表情や演技は、オリンピックという場がどれほど強いプレッシャーを与えるものなのかということを、教えてくれました。
それによってこそ、荒川さんや村主さんのみならず、スルツカヤさんやコーエンさんもまた、そうしたプレッシャーに耐えながらあれほどまでに勝ち上がったことのすごさをまた知ることができたのでした。
断片的に伝え聞く、スルツカヤさんの人生に対する態度には、教えられることが多くありそうです。

せめてオリンピックという場においてだけでも、地球人の中で勝ち進んできた、ひとりひとりの戦いとして、国境というものを意識せずに見ていられたらいいのに、と想像します。
夢想家だと言われるかもしれないけど、でもぼくはひとりじゃない。そう信じたい。

2006.03.08 - 12:46 AM ||コメント (0)|トラックバック (0)