『東京原子核クラブ』を21世紀の東京で観る

脚本家も、出演俳優も、そして劇場もどれも初見だったのですが、取っているメルマガの号外での紹介 [www.shinobu-review.jp] に惹かれて、六本木の俳優座に見にいってきました。

人間の様々な面(明るい面も、暗い面も)に対する暖かなまなざしが豊かにあふれる脚本を、俳優が力量を十分に発揮して昇華し、個々の人物像——人柄、思想、人生——がそれぞれキラキラと輝くすてきな舞台でした。
社会と、その中で息づく市民の思いと営みのかかわり。科学と技術への心躍る探求心と、それがもたらす挫折や悲劇。そうした食材を、「人として、人と生きる温かさ」というスープで煮込んで作られた秀逸な料理。

演劇をとおして、生きるか死ぬかもわからなかったあの時代の日本の人々に、なんだかギスギスして希望が見えないこの時代のぼくたちへのメッセージとして「やっぱり人はこんなふうに生きていくべきなんじゃないか?」と伝えられたような。
そしてその「こんなふう」というのは一辺倒なものではなく、人それぞれのさまざまな「ふう」でありながら、どこか背筋ののびた姿勢と、それでいてやわらかな他人との交わり、という共通の「ふう」なのです。

物理学者、という存在をひとつの軸に据えた点も、ぼくにはとても興味深いものでした。
世界の根本的な秘密を解き明かす行為が、人間の社会や存在そのものに密接に結びつくがゆえに、高度な論理性と豊かな想像力を必要とする物理学という学問。
ぼくが心から尊敬する人の中にも、すぐれた物理学者が幾人もいます。
真実への果て無き探求心と、社会や政治の根本を支えるということへの誇りを、光のあたった突出した学者だけでなく、立場や能力の異なる多くの物理学者や学徒が、自分なりの抱き方で抱いているのだということ。それが複数の役者によって個性豊かに描かれ、語られることによって、科学や、仕事や、社会とのかかわりについて様々なことを感じ、考えさせられます。

笑い、泣いた3時間が終わったあとは、元気をおみやげにもらいました。


役者はどなたもみなすてきでしたが、ことに小飯塚貴世江さんの演技が心に残りました。女であるがゆえに生物学者になることを諦めなければならず下宿屋で働いている娘、という設定を実に豊かに表現されていました。声に力のある人だな、と思ったのですが、声優もしているのですね。

脚本のマキノノゾミさんという方は、ぼくと世代が変わらないのに、第二次世界大戦の前後の東京の雰囲気、当時の社会と人との関わり方、語り口調などが実にそれらしいとぼくは感じたのですが、それこそあの時代に学生だった方々がどう感じるか聞いてみたいものです。
この方は2002年のNHKの連続テレビ小説「まんてん」の脚本を書かれているんですね。テレビ小説を見ることはほとんどないのでまったく知りませんでしたが、「鹿児島県・屋久島で生まれ、いつか宇宙に行きたいという夢を持つヒロイン・日高満天が国際宇宙ステーションに搭乗するまでを描いた物語」だったそうで、この設定の内容にも、また設定に対してたぶん脚本家が抱いているであろう思いにも、惹かれます。DVDで総集編でも見てみるかな。

[映画・演劇・テレビ] tag:
2006.07.12 - 01:03 PM |
「わかった」が相変わらずわからない | 田中康夫という長野県知事がいたこと

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