犠牲への関心と無関心

イラクの人質。
以前の5人と比しても、本人の意識の問題がかなりあるようなので、それで同情の余地なしとされるのもやむを得ないのかもしれません(そのようにあからさまに表現する媒体はありませんけれど)。
とはいえ、自衛隊派遣の「犠牲者」であることは確かだし、同情の必要はなくとも、「犠牲になっていい」わけはありません。
状況も前の二回よりかなり深刻なので、たまたま地震の報道が重なっているのも災いしているでしょうが、メディアが、あるいは一般の風潮が、あまりに冷たいのが気になっています。
その冷たさも、「自己責任」という非難さえない、突き放した無関心という雰囲気。とても気になります。
天災である、親子三人の生き埋めに一喜一憂しながら、人災である人質事件には無関心であるということ。
これは、とても怖いことではないでしょうか。

[政治・国際・社会]
2004.10.28 - 11:46 PM |
OS X:プリンタをリストに追加できない問題の解決 | 天皇の名の下で

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