「知らしむべからず」

17日の「ほんとうの悪夢がはじまったのかもしれない」にパウエル長官の言葉を引用しましたが、これは新聞サイトからの孫引きでした。
米国政府のサイトで、そのインタビューが公開されていることを知りました。
http://www.state.gov/secretary/rm/31489.htm

ところでこの公開ページを見て、日本での情報公開はどうなのかと探してみました。
首相も官房長官も、あれほどテレビではコメントを出していながら、それをサイトには全く載せていません。酷い。
小泉総理の演説・記者会見等
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/index.html
内閣官房長官の記者発表内容
http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/index.html
しかし内閣府でも、官房長官以外の大臣の会見については細かく出ているのです。
内閣府大臣記者会見要旨
http://www.cao.go.jp/kaiken_youshi.html
どう見ても、総理の情報が一番少ない。官房長官は「記者発表」のみで「記者会見」は皆無。
なんだこりゃ。
「由らしむべし、知らしむべからず」ってことですか。

首相官邸のサイトは、公開ではなく広報、PRを目的としていることが明らかです。
例えば「郵政民営化準備室の立上げで訓示」なんて話は、ちゃんと編集されたナレーション入りの動画ですばやく載ってたりするわけです。

お金かけるところが違います。間違っています。
企業サイトでさえ、まずはできる限り情報をデジタル化し、できる限り情報を公開することが先決で、動画やFlashで「飾る」優先度はずっと低いと思うのですが、国がこんなことやっていてどうする。

政府は情報公開をしたいのではなく、広報宣伝をしたいのだ、ということは動画ひとつだけを見てもよくわかります。例えば「郵政民営化準備室の立上げで訓示」というビデオ
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumivideo/2004/04/26yusei.html
を見ると、せっかくの動画でありながら、音声はずっとナレーションの人がしゃべっているだけで、首相の訓辞でさえ首相の声が入っていないのです。
情報公開が目的なら、編集もナレーションもいらないから、訓辞を全部載せるべきでしょう。なおかつ訓辞の内容を逐語テキスト化すべきです。
そんなことよりも準備室の看板を首相自ら揮毫したなんて映像の方が重要なんですね、小泉さんにとっては。

米国国務省の記者会見ページでは毎日の会見内容が、テキスト、音声、ビデオで全部公開されてます。テキストのページは、それ自体ほとんどテキスト主体なのですが、ご丁寧なことにさらにシンプルな印刷用のページが用意されています。
http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2004/

インタビューの内容ひとつ、サイトのページひとつ見るだけで、米国と日本の、国、国民、民主主義のありかたの遙かなる隔たりがあまりにも明らかで、愕然とします。

地方政治はまだましのようです。
東京都は会見内容がビデオで全部見れます。会見時はライブもやっているようです。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/index.htm
長野県は、知事の記者会見やシンポジウムなどを動画とテープ起こしテキストですべて公開しています。記者の質問も名前入りで読めますので、それが記事になったのと比較することも容易で、県や知事についての情報だけでなく、新聞社や記者がどのようなフィルタとなっているのかを知ることもできます。
http://www.pref.nagano.jp/hisyo/governor/governor.htm

メディアのフィルタを通さず、オリジナルの情報に市民が直接触れることができ、それをもとにして自らの頭でモノを考えられるという、民主主義を正しく動かすための道具、インターネットがここにあるのに、依然として「余計なことは知らせなくていい」と考える国を、どうしたらいいのでしょう。
すくなくともぼくらは、できる限り自分で情報を探し、集め、比較して、それを元に自分で考えるということを、かなり努力しないといけないようです。
ぼくは自分が流されやすくて、流されてしまうのが本当に怖いので、ますますそう思います。


※なお、パウエル長官インタビューの該当箇所を省略なく訳してみましたので、興味のある方は下手な訳でよければどうぞ。

TBS金平氏のパウエル長官インタビュー
米国国務省ページ
http://www.state.gov/secretary/rm/31489.htm
より一部訳出。

金平氏: 近代国家の歴史の中では、すべての政府は自国民を守る義務があるとされています。日本では何人かの人が「人質にされた人たちは、すすんで危険を冒したわけで、自分たちの行動に対する責任をとるべきだ」と言っています。あなたはどう思われますか。

パウエル長官:
そうですね、すべての人は危険な地域に行くことによるリスクを理解しているべきです。ですが、自分からリスクをとろうとする人がいなければ、私たちは決して前進しません。私たちの世界を前に進めることはできないでしょう。
だから、私はあの日本の市民たちが、より大きな善、より良い目的のために、すすんで自分たちを危険にさらしたことをうれしく思います。また、日本の人々は、そのような行為を自発的に行う市民がいることを非常に誇りに思うべきだし、イラクに送られて危険を引き受けようとしている兵士たちを非常に誇りに思うべきです。

しかし、そのリスクゆえに、たとえ彼らが拘束されたような場合でも、「あなたたちは危険を冒した。それは自己責任だ」と言うべきではありません。私たちは彼らを安全に確保するためのあらゆることをする義務がありますし、そのことに深く関わる義務があります。彼らは私たちの友人です。彼らは私たちの隣人です。彼らは私たちの同胞です。

拘束された人たちを誇りに思うべきだとするのと並行して、兵士(原文ではsoldiersとなっているので、そのように呼ばれていることの強調からあえてこう訳しましたが、当然自衛隊員のことですね)をもまた誇りに思うべきだとしていて、いくつかの新聞ではこの部分は省略されていました。
当然のことながら政治的意図を持っての発言なのですが、しかし省略されていた部分が加わっても、論理の整合性は失われず(むしろ明確)、かつ、国はその国民を守る義務があり、自己責任と押しつけるべきではないという論調に変わりはありません。

[政治・国際・社会]
2004.04.29 - 06:43 AM |
気になる用語「わかった」 | ニーチェア

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