Lost In Translation ロスト・イン・トランスレーション
パークハイアットで仕事の打ち合わせを終えて、時間があったので渋谷にまわり、見たいと思っていたソフィア・コッポラの「Lost In Translation」を見た。
つい30分前までぼくがいたパークハイアットのホテルが、映画の舞台だった。
母国を離れて、何をしていいのか何をしているのかわからなくて、それぞれ結婚しているのにひとりでいる、ふたりのものがたり。
さびしい異国人が異文化の中に放り出された感は、東京にいるぼくが、先ほどまでいた新宿や、今まさにそこにいる渋谷を映した映像から得ることは、ちょっぴりむずかしい。
というか、米国人と、同じように得ることはむずかしい、という、それはどの映画を見ても同じであろう当たり前のことに気づきながら、でもそれを超えて、さみしさとあたたかさを感じさせてくれるいい映画でした。
お兄さんであるロマン・コッポラ監督・脚本の『CQ』もぼくはかなり気に入っているんですが、いやあ、コッポラファミリー、いいなあ。
Lost in Translation
http://www.LIT-movie.com/
[映画・演劇・テレビ]
2004.05.12 - 01:41 AM
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コメント
いずみ: ayumu:コメントもらってたのに、いまごろ、すみません。
東京、しいては日本の音の洪水は、ほんとうに勘弁して欲しいと思うもののひとつです。ぼくのストレスの多くは余計な音からきてますね。余計な音の洪水に関してはまた稿を改めて書こうかと思いますが。
しかし今日から3が日にかけての東京は、一年でもっとも静かになります。
だから東京のお正月が、ぼくは大好き。
元旦の朝目覚めたときの静寂には、いいようもない幸せ感があります。
そしてそれだけ、ふだんの東京が夜中でもノイズを持っていることに気づかされるわけです。
しかし……ソフィア、タランティーノとつきあってんの。なんだかちょっとガッカリかも。映画の方向性、ずいぶん違う気がするがなあ。
あの映画を見て気づかされるのは、東京が雑音に満ち満ちた都市だということです。どこへ行っても不要なBGMだらけです。どこへ行っても音の洪水なんです。ラーメン屋ではJ-POPのヒットチャート(しかも消化に悪そうな曲ばっかり)。車も喋りますしね(「バックします」「左へ曲がります」)。自動ドアや自動販売機の類はどんどんおしゃべりになっていますね。視覚障害者のための機能なのかもしれませんが、あんなにそこここで音が氾濫していたら、却って聞き取りにくいのではないかと心配になります。
あの映画はその騒音と、パークハイアットの静謐をうまく対比させて、美しい浮遊感がありましたね(それが孤独感でもあったけど)。空中楼閣とでも言うか。
ニコラス・ケイジ好きの私としては、ニコラスもコッポラファミリーに含まれると思っております。ということで続けさせていただきます。そのニコラスの初監督作「ソニー」は心がヒリヒリするような映画で、とても印象深いものでした。好き嫌いは明確に分かれると思いますが、もし機会があったら見てみてください。
そういえば「ライフオブデビッドゲイル」はニコラスが権利を有していて、アラン・パーカーがニコラスを口説いて自分で監督したんですよね。口説かれなかったらニコラスが監督してたのかも? 「ライフオブデビッドゲイル」はあのままが好きですが、ニコラス監督版もちょっと見てみたかった気がします。
ソフィアはタランティーノと交際中なんですよね。もしも結婚したら、タランティーノもコッポラファミリー。
長々と失礼しました。現実逃避モードでして。